【理論で向き合う親子関係④】アイデンティティとモラトリアム

理論で向き合う親子関係

前回はエリクソンの発達理論を紹介しました。

今回はその第4段階(学齢期)および第5段階(思春期、青年期)について掘り下げていきます。

第4段階の学齢期(8~12歳)での心理社会的危機は「勤勉性」対「劣等感」でした。

新しいことを日々学ぶ学問やスポーツを通して「やればできる」ということを体験し、頑張ることを覚える時期です。

それにより勤勉性を身に着けることが出来ます。

理論では「勤勉性」となっていますが、個人的にはこの「勤勉性」が「自信」や「地頭によさ」「前向き思考」に繋がるのだと考えています。

小学校内容の学習は「やればできる」問題ばかりなので、それをしっかりとクリアさせ、褒めてあげればよいのではないでしょうか。

時間にゆとりがあれば100点を取れるまで何度でもテストを行い、達成感を味わってもらえたらと思います。

逆に、日々のやるべきことを疎かにしたり適切な競争から逃れたりすると、自分は何をやってもだめだという劣等感を感じるようになってしまいます。

自分がサボったかやり切ったかは自分が一番よく知っています。

我々大人がすべきことは、子どもが自分自身に嘘をつかなくていい環境を整えてあげることでしょうか。

第5段階の思春期~青年期での心理社会的危機は「自我同一性(アイデンティティ)獲得」対「自我同一性(アイデンティティ)拡散・混乱」でした。

「私は誰?」「自分がやりたいことは何?」「自分らしさって何?」「自分が将来やりたいことは何なのだろう?」という自問自答を繰り返し、「自分」に気づき、自分がどのような方向に向かうのかという認識を獲得する時期です。

自分についての最終的な決断は自分が行うという「引き受け」ができるかが課題であり、そのためには大きなエネルギーを必要とします。

これに耐え切れず、決断を他人任せにしたり、決断を先送りにしたりする場合がありますが、これは結局「自分」を見失うこととなり、これを「自我同一性(アイデンティティ)拡散・混乱」といいます。

私自身はこれに非常に悩み、かなり苦しい青年期を過ごした思い出があります。

それなりの進学高校に合格しながらもこの悩みで勉強も部活も人間関係も手つかずになってしまい、大学進学はおろか退学を考えたことも何度もありました。

ひたすら思索にふける毎日であり、自分なりの人生の考察を詩に書き表す詩作にふける毎日でもありました。

よく「学生時代に戻りたい」という大人がいますが私があまりそういう気持ちにならないのは、あの悩み多き青年期をもう一度やることなど御免こうむりたいからかもしれません。

また、この時期は社会的な責任から逃れることが出来る時期のため「モラトリアム(猶予期間)」と呼ばれることもあります。

モラトリアムとは「支払い猶予期間」と訳されますが、戦争や災害などの非常事態下で国家が債務や債券の決算を一定期間延長・猶予し、これによって金融恐慌による銀行などの崩壊を阻止することです。

エリクソンはこの言葉を転用して、青年期を「心理的モラトリアム」と定義しました。

青年期は、修業、研修の身であるから社会的な責任や義務の決算を猶予する、という意味です。

社会的義務を負わない代わりに、自分自身の人間形成に力を注ぐことが出来る期間です。

この期間で、あらゆる面で自分独自の生き方を選び取るトレーニングをします。

そして、一定の年齢に達するとモラトリアムは終了し、選び取った独自の自己をもって社会に踏み込んでいきます。

本来、大人=社会が青年にモラトリアムを与えるのは、若者たちが知識や技能を継承する見習い期間を与えるためです。

この間、青年たちは経済的、心理的に親や社会に依存することとなります。

かつては徒弟奉公であり、現代では大学までの期間といっていいかもしれません。

当然、これも時代の流れでだいぶ変わってくるでしょう。

学校という教育機関で教わった知識や技能だけで仕事ができるとは限りません。

むしろ社会に出てから学ぶことの方が濃く、多くあるかもしれません。

現在では「リカレント教育」などが言われているように、社会に出てから学び直すことも可能ですし、転職もよく行われる時代になりました。

アイデンティティは青年期に確立されたものから変わることも考えられます。

例えば私の場合、職業に関する興味の検査を行ったところ、学生時代に最下位だった職種が現在では上位に入っている等、価値観の変化を感じたものです。

理論はあくまでも理論として思考の補助線として使っていただき、実際には自分の可能性を信じて、あまり年齢に囚われずに柔軟に考えても良いような気がしています。

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