【TOKYOタクシー】所感3/3 こんなすみれさん(倍賞千恵子)だったら共感できたかも

気まぐれ読書感想文

映画「TOKYOタクシー」。

前回は宇佐美さんの設定について考えてみました。

今回はすみれさんの設定を考えてみます。

■こんなすみれさんだったら共感できた?

すみれさんの人生はいろいろなパターンが考えられますね。

もちろん映画の通りの人生も一つ。

パターン①:高度経済成長の陰で「黙って耐えた人生」

恋人が北朝鮮へ渡ってからは母が営んでいた小さな食堂を継ぎ、息子・勇を背負いながら働く。1960年代、日本は高度経済成長に沸き、街にはテレビや洗濯機があふれたが、彼女の暮らしは相変わらずぎりぎりだった。在日朝鮮人との子を育てるシングルマザーという立場は、静かな差別を常に伴った。

勇は勉強ができたが、「父親は?」と聞かれるたびに傷ついた。彼女は多くを語らず、「生きていく力だけは身につけなさい」とだけ言った。

バブル期、店は一時的に繁盛したが、無理な拡張はしなかった。崩壊後も店は細々と残り、彼女は70代まで鍋を振った。

勇は地方自治体で働いていた。真面目で、責任感が強く、誰かがやらなければならない仕事を断れない性格だった。

2010年代、自治体の人員削減と業務増加の中で、彼は長時間労働を続け、ある冬の日、帰宅途中の駅の階段で倒れ、そのまま帰らなかった。

彼女は「国に殺された」とは言わなかった。ただ、戦争で父を失い、政治で恋人を失い、今度は制度で息子を失ったのだと思った。

そんな身内の不幸も、新聞やニュースでは大きく取り上げられることもなく、世間からは忘れられていく。どんなにささやかに見える人生にも、そこに想いや愛する人の存在があるのに。

タクシー運転手もまた、「名前を呼ばれない」仕事。そこにシンパシーを感じた。また、耐えてばかりの人生だったから、夢がありながら貧しさゆえに音楽の道に踏み出せない運転手の娘に同情し、わずかな遺産を譲ろうとした。

パターン②:社会運動に身を投じた「声を上げた人生」

恋人を失った悲しみは、やがて怒りに変わった。なぜ引き裂かれなければならなかったのか。なぜ国籍や政治が、愛や家族を壊すのか。

1960年代、安保闘争のうねりの中で、彼女は市民運動に関わり始めた。戦争未亡人、在日問題、女性の権利。息子の勇を連れてデモに参加したこともある。

勇は反発した。「普通の母でいてほしい」と。親子は何度も衝突したが、彼女は「あなたが生まれた理由を、なかったことにしたくない」と答えた。

1970〜80年代、彼女は自分の店で時々子どもたちの勉強を見て、名は知られなくとも多くの人に頼られる存在になった。生活は質素だった。

晩年、勇は記者となり、分断や歴史をテーマに記事を書くようになる。もしくは社会科教師となり、のちの世代の育成に努めている。親子は和解し、彼女は「あなたが暴力ではなく言葉で闘ってくれてよかった」と微笑む。

多少、政治色が強まる展開ですが。

 

パターン③:再婚と沈黙、「もう一つの家庭」を選んだ人生

彼が去ったあと、彼女は生活のために再婚した。相手は戦争帰りの無口な男。彼は勇を自分の子として育てると言った。

その代わり、彼女は過去を語らなかった。勇にも、夫にも、あの恋のことを伏せた。1960年代、団地暮らしが始まり、「普通の家庭」を演じる日々が続いた。

勇は成長し、会社員になり、家庭を持った。彼女は孫を抱きながら、「これでよかったのだ」と自分に言い聞かせた。

だが1980年代後半、夫が亡くなり、彼女は初めて一人になった。引き出しの奥にしまっていた一通の手紙—北へ渡る直前に彼が残したもの—を読み返す。

85歳の今、勇は父の真実を知らない。彼女はそれを明かすべきか迷いながら、「沈黙もまた、選択だった」と自分に言い聞かせている。

※もしくは、このパターンで考えられるのが勇の出自による差別。時代的には起こる可能性もあったでしょう。

勇が職場で恋愛をし、結婚直前まで話が進む。結婚相手の家から「身元調査」を求められ、在日朝鮮人の血があることが知られた。

婚約は破談になり、配置転換、昇進の見送り。

勇は何も言わずに耐えたが、ある日、自死を選んだ。

いずれにせよ、赤の他人のタクシー運転手に遺産を渡す決断をさせるためには、勇に何かあった、そしてその原因が自分にある、ような出来事があったほうが、説得力が出るでしょう。

 

また、「ネイルで成功し資産を得た」という、手に職系で成功を収めたというストーリーにしたい場合、以下のような物語はいかがでしょうか。

 

〇苦労して昭和という時代を駆け抜けた女性像

すみれは母の食堂を手伝いながら、夜はミシンを踏んだ。

戦後の東京では、服は貴重品だった。着古した着物をほどき、洋服に仕立て直す。彼女は手先が器用で、いつしか「直し屋」として評判になった。

やがて、常連客の紹介で再婚した。相手は無骨な男で、彼女の過去を深く詮索しなかった。その沈黙は、彼女にとって救いだった。

勇はその男を「父」と呼んだ。

彼女は縫い物で家計を支え、男は工場で働いた。高度経済成長の波に乗り、暮らしは安定した。

だが、彼女は一度も「幸せだった」とは思わなかった。ただ、「生き延びた」とだけ思っていた。

夫が先に亡くなり、勇もまた、ある日突然この世を去った(パターン①の過労死だと、父を戦争で、恋人を政治で、息子を制度で亡くした悲劇が演出される)。

※ここで映画の設定のように再婚相手がDV男だったら、離婚し、服飾のスキルで富を築くというストーリーにもなる。その際に勇を傷つけるような言動があり、それがきっかけで勇が自死を選ぶと、その贖罪意識からタクシー運転手に遺産を譲るという決断にも説得力が出るかも。

老人ホームへ向かうタクシーの中、運転手は彼女の古いコートを見て言った。

「いい仕立てですね」

彼女は微笑んだ。

「私が縫ったの」

そんなところからすみれさんの回想シーンが始まり、戦後の激動を知恵と腕で生き抜いた女性の姿が語られると、より良かったのかなと想像する。

 

■さいごに

繰り返しになりますが、映画自体の善し悪しではなく、「私が期待していたもの」と「映画が提示したもの」が大きくズレていたことが、今回の“もやもや”につながっていたように思います。

「こうだったらもっと響いたかもしれない」

そんなことを考えながら、自分自身の価値観や人生観に向き合う時間にもなりました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました