戦後80年という節目の年に出版された
『「あの戦争」は何だったのか』(辻田真佐憲・講談社現代新書)。
グローバル化や多様化が進む一方で、ナショナリズムや分断という言葉も強く意識される現在。
ロシア・ウクライナ、イスラエルをめぐる武力衝突など、国家同士の争いが再び現実のものとして目に入るようになりました。
第二次世界大戦終結後、世界規模の戦争は起きていないとはいえ、どこか「きな臭さ」を感じる時代。
ネット上では、政治や歴史をめぐって両極端な意見が激しい言葉でぶつかり合っています。
そんな今だからこそ、全世界を悲劇に陥れた先の戦争を振り返っておくことは非常に重要でしょう。
ただし、日本の「先の戦争」を語ろうとすると、そこには必ずイデオロギーの対立が立ちはだかります。
一般の一個人が冷静に語ることの難しさを、私はずっと感じてきました。
「先の戦争」とは、何を指しているのか
ここでいう「先の戦争」とは、
1945年8月14日に日本がポツダム宣言を受諾し、9月2日に降伏文書に調印した、
日本では毎年8月15日に「終戦の日」と呼ばれる戦争のことです。
この戦争をどう捉えるかについては、大きく分けて二つの立場があります。
・「日本は侵略戦争を行った加害者だった」とする見方
・「日本は被害者だった」「アジア解放のために戦った」とする見方
両者のあいだには、今もなお大きな溝があります。
私自身の戦争観の変化
私は今年42歳ですが、小・中学生の頃に受けた教育では、
・日本は侵略戦争をした
・空襲や沖縄戦、原爆などで多くの民間人が犠牲になった
という側面が強調されていた記憶があります。
戦争体験者である祖父から、当時の厳しい生活や訓練の話を聞くこともあり、
「アジアの人たちに大きな迷惑をかけてしまったんだな」と、暗い気持ちで授業を受けていました。
同時に、戦争に巻き込まれた国民の悲劇も感じていました。
そのため、
侵略への反省と、国民生活を破壊するものとして「戦争は良くない」
という認識を自然と持つようになりました。
ところが、高校で近現代史を学ぶにつれ、別の視点も見えてきます。
・帝国主義の時代、日本が独立を保つために苦闘していたこと
・日清・日露戦争の防衛的側面
・人種差別撤廃を世界に先駆けて訴えていた日本
・軍縮条約や、植民地を持つ国と持たない国の格差
・戦後、東南アジア独立戦争に参加した日本人元軍人の存在
こうした事実を知るにつれ、
「日本にまったく正義がなかったと言い切れるのか?」
「他に選択肢はなかったのか?」
という疑問が湧いてきました。
その後も、本を読んだり、靖国神社や遊就館を訪れたりしながら、
自分なりに「あの戦争」を理解しようとしてきました。
浅学ではありますが、いわゆる「左寄り」「右寄り」双方の主張を一通り「知っている」、という状態にはなっていると思います。
だからこそ、
両極端な意見が分断を生みかねない現状に、強い危機感を覚えています。
この本が与えてくれる「冷静さ」
本書は、そんな私にとって
偏らず、冷静に先の戦争を考えるための助けになってくれる一冊でした。
著者は冒頭で、次のように述べています。
「日本の過ちばかりを糾弾することでも、日本の過去を無条件に称賛することでもない。過ちを率直に認めながら、そこに潜んでいた“正しさの可能性”を掘り起こして現在につなげる、言い換えれば「小さく否定し、大きく肯定する」語りを試みることである。それこそが、われわれの未来につながる歴史叙述ではないだろうか。」(はじめに)
この姿勢が、本書全体を貫いています。
各章のポイントを簡単に
第一章 あの戦争はいつはじまったのか 幕末までさかのぼるべき?
終戦は1945年9月2日。
では「戦争の始まり」はいつなのか。
1939年のドイツによるポーランド侵攻を起点とするのが「第二次世界大戦」ですが、
日本は1937年には日中戦争を始めています。
どこを起点にするかで、日本が加害者か被害者かという評価が変わる。
もちろん著者は、「一方的な被害者」「一方的な加害者」の単純化の危険性を指摘します。
第二章 日本はどこで間違ったのか 原因は「英米」か「護憲」か
「もし戦争を回避できたとしたら?」
当時の軍人や言論人の言葉をもとに、英米との関係や大日本帝国憲法の構造的問題を検討します。
ここで示されるのが、次の視点です。
「歴史を学ぶ妙味は、過去のひとびとがどのような状況におかれ、いかなる選択肢の中で生きていたのかを、自己の問題として想像し、理解しようとするところにある。」(第二章)
第三章 日本に正義はなかったのか 八紘一宇を読み替える
「アジア解放の戦争だった」という主張について、当時の実態や矛盾点を整理しながら検証していきます。
第四章 現在の「大東亜」は日本をどう見るのか 忘れられた「東条外交」をたどる
「あの戦争は西欧列強によるアジア植民地化の解放運動の側面があった」という意見に対して、中国、シンガポール、タイ、インドネシアなどを取材し、各国の歴史博物館が日本占領期をどう伝えているかを紹介。
歴史展示を通じて、国民が共通の「物語」を共有しているという点が印象的です。
第五章 あの戦争はいつ「終わる」のか 小さく否定し大きく肯定する
日本には、国としての歴史観を示す国立の歴史博物館が不十分である、という問題提起。
戦争は「人々の記憶から風化したとき」、あるいは「より大きな出来事に「上書き」されたとき」に終わるのではないか、という指摘は少し不吉でもあります。
著者はここで、われわれが日本の歴史を語るうえで「100点かゼロ点か」といった極端にとらわれる必要はない、といいます。
「近代日本の歩みを、欧米列強に抗った正義の歴史として全面的に肯定する必要もなければ、逆にアジアを侵略した暗黒の歴史として一方的に断罪する必要もない。
とくに国立博物館のような公的機関が担う歴史展示では、基本的には自国の歩みを肯定しつつも、過ちや課題についても正直に記す姿勢が望ましい。その意味で、満点を目指すよりも、あえて六十五点くらいを目標とするほうが現実的で、かえって誠実な立ち位置になりうるのではないか。」(第五章)
「近代日本は帝国主義の時代にあって、植民地化されることなく独立を保ち、列強の一角に加わった稀有な存在である。その意味で、日本は近代世界の一員として主要な役割を果たしてきた。この主体性は、単なる受け身の歴史観では捉えきれない。
主体であるということは、他者に影響を与える存在であるということだ。そしてその影響は、肯定的なものだけでなく、否定的なものも含まれる。みずからの与えた影響の全体を引き受けるところに、真の主体性がある。そのような認識から歴史展示を出発させるべきだろう。日本は、近代において主人公の一人だったという自覚を持つべきである。」(第五章)
感情的になりやすいテーマだからこそ、「いったん冷静になるため」に読みたい一冊でした。


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