オリジナル楽曲の紹介をしていきます。
「西陽射す」
制作は2001年。高校2年生の時でした。アメリカ同時多発テロ、それに付随するイラク戦争を受け、いつまで経っても争いがなくならない人類を嘆き、それでもその争いの歴史から人類は平和や愛を学ぶものなのかもしれないと希望を抱く歌詞からスタートしました。
10年後の東日本大震災を経験し、現在の歌詞のテーマに変更。
それから約10年後のパンデミックをきっかけに現在の歌詞にしました。
まさに私の死生観、人生観が投影されている楽曲かもしれません。
私が高校の頃はCDが100万枚売れる時代でした。その中で私が目指していたのは「3万枚売れる歌手になること」。3万というのは当時の日本人の年間自殺者数でした。死ぬ前に思いとどまってくれるような歌を歌いたいと願っていたのです。
今から考えると未熟な世界観であり、とてもじゃないですがそんなことを言える資格はなかったなと思います。
実際にその後大切な人を自殺で2人亡くしました。自分自身も「死んでしまいたい」と思うような体験を何度もしました。そうした経験から、「自分の歌で誰かを救いたい」と思うそのことが傲慢であったと気づかされました。
そんな時に体験したのが2011年の東日本大震災でした。
当時私は新卒で3年弱務めた会社を辞めてニートの身でした。社会に出ていかに自分が無力であるかを感じ、色々なことを学び直そうと1年ほど貯金を食いつぶしながら読書や勉強に明け暮れていました。そんな中キャリアカウンセラーの資格取得に向けて学習中で、3月に講座が終了するというタイミングでした。あの日、私は再就職に向けた合同の勉強会のようなものに出かけていて被災しました。東京は震度5弱でしたが初めて体験する揺れ、その後続く余震に恐怖したのを覚えています。それまでの人生の中で一番「死」を感じた瞬間でした。
余震が続く中、待機中のビルの中で何かできないかと考えていた時にふと浮かびました。ここは再就職に向けた説明会。つまり私を含め全員が求職者です。まだ資格は取れていないにしろキャリアカウンセラーとして学んだことをこの方々に伝えようと。その場で皆さんの履歴書や職務経歴書を見せていただき、文言やこれまで行ってきた業務の掘り下げなどを行っていきました。
「そんな視点があったのね」
「自分が大事にしていたことが分かりました」
などとおっしゃっていただき、非常に和やかな場になったことを覚えています。
もともとキャリアカウンセラーの資格を取ろうと思ったのも、自分で気づいていない自分のがんばりや良さを履歴書やこれまでの仕事を聞かせてもらうことで気づいてもらうことに魅力を感じたからでした。ささやかながらそれが実現できた瞬間でした。
そして思いました。
次の瞬間死ぬかもしれない状況で、自分のできることで人に何かしらの貢献をすることの意義を。例え命を失っても、私が伝えたことをその方が受け取り、ささやかであってもその方の生きる力の一部になれるなら、それでもう私が生きた価値はあるのではないかと。私の伝えたことはその方の中で生き続ける。つまり私の肉体は滅んでも、魂は生き続けるのではないかと。
考えてみれば私も、父や母の教えを受け継いでいる部分はあるが、それもまた父や母が受け継いだ誰かの考えや想いをも引き継いでいるということもできる。それは歴史的に有名な人ばかりではないかもしれない。近所のおじさんやおばさん、学校の先生や友達からの影響かもしれない。でも、その無名な誰かの生き様が、父や母を通して私に伝わっている。それだけでその方が生きた意味があったといえるのではないか。もちろん歴史から学ぶこともできる。釈迦やイエスやヘーゲルやフロイト、ナポレオンや徳川家康の思想を学び、その影響を受けていることもある。そして歴史上の人物や周りの人が経験し、残してくれた様々な良きことや過ちを学び、善いと思うことを選択して受け継いでいくならば、世界はもっと円(まろ)やかになるのではないかと。
人生に目的があるとすれば、それは「学び続けること」かもしれない。誰もがみんな幸せになろうと考え、行動し、時にそれが衝突し合い争いの歴史が刻まれてきた。周りから見れば、後世の人から見れば、愚かしいことと感じるかもしれないが、一生懸命生きた一人の人生に触れることで、人は幸せについて学んでいくのではないか。「ただ生きている」、その姿だけで人は誰かの人生に影響を与えるという意味で、すべての人間の存在に感謝したいし、自分の存在意義もそこに求めたい。
だから仮にここで命尽きたとしても、近しい人には悲しんでほしくない。私が死んで悲しんでくれる時点で、何かしらあなたの人生にいい影響を与えられたと信じたい。その良き部分を誰かに伝える、もしくは伝わることで、私は生き続ける。つまり、そういう意味で命は「永遠」である。
そしてその気付きや学びが集積されれば、人類というのは大変円やかな存在となることができるのではないか。それこそ人類始まって以来の優しい世界が、後の世になればなるほど築かれていくのではないか。そしてそんな未来の誰かの幸せは、きっと私の幸せでもある。私が経験から得た幸せへのささやかヒントが、ほんの一部でも含まれているはずだから。
そんなことを考えた、2011年3月11日。「命のつながり」というテーマで歌詞を書き換えました(2001年当時は反戦歌の色が濃かった)。
そしてパンデミック。
まだあのウィルスのことがよくわかっていなかった頃、教育関係ということでステイホームができずに職場に行き来する必要があり、そのことに恐怖を感じていたころ、改めて震災当時のことを思い出し、明日何があってもいいように一部の歌詞を書き換えて現在に至りました。
下手な表現ではありますが、何か伝わるものがある方がいらっしゃれば幸いです。
「西陽射す」
二人だけの部屋 とても暖かい
たった一つの窓を覆う夕陽がきれで
この街にも まだこんな美しいものが残ってたなんて
ついでだからテレビも消してくれ
そこから流れるニュースなんて 聞きたくないから
今日も誰かの命が狂い 過ちの歴史が刻まれてゆく
・・・それも仕方ないか
少しずつでも愛を学ぶため すべての傷に意味があるのだろう
もう間違わないと 目の前のあなたをそっと抱きしめるだけ
そしていつの日か あなたを残し この身を土に還す時が来ても
私の冥福(しあわせ)などを望み 祈ることはしないでほしい
人は誰もその生き方の中に 幸せへ続く答えがあるから
ただ生きている その姿だけで愛は伝わってゆくだろう
最後に生まれてくる一人が 地球の記憶分の愛を受け取れますように
そのための礎(私の命)でありたい
そしてその最後の一人が あなたでありますように
あなたであるということは 私でもあるのだから
さあ こんな日は眠ろう 今はまだ哀しいこの街
明けぬ夜はないと信じ
今日もまた 西陽射す
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