【教養としての宗教学19】八正道と慈悲

教養としての宗教学

〇八正道

釈迦が初転法輪で語ったことは主に

1、四諦(したい)

2、八正道

3、慈悲

でした。

四諦の確認は前回行いました。

1、苦諦(くたい)・・・人生は苦しみに満ちている。

2、集諦(じったい)・・・苦を引き起こす原因は「無明(無知)」であり、欲望、執着といった心の煩悩の集まりである。

3、滅諦(めったい)・・・煩悩を完全に滅することで、苦から解放される。

4、道諦(どうたい)・・・涅槃寂静に至るためには八正道の正しい修行法に集中すべきである。

ということで八正道についてみていきましょう。

 

八正道とは、

1、正見・・・正しい見解を持て

2、正思・・・正しく思索せよ

3、正語・・・正しい言葉を使え

4、正業・・・正しい行いをせよ

5、正命・・・正しい生活を送れ

6、正精進・・・正しい努力を続けよ

7、正念・・・正しい心の落ち着きを持て

8、正定・・・正しい精神統一を得よ

 

つまり、滝に打たれたり火の中を走ったりといった苦行をせよとは言っていません。そうかといって何もしなくてよいとも言っていません。

ここからは私なりの言葉での解説になりますが(これがまさに釈迦が恐れたことなのかもしれませんが)、

真理は「縁起」であることを悟る(正見)。だとしたら自分の力で変えられること、変えられないことを見極める(正思)。

自分の力で変えられることは努力をし(正精進)、変えられないこと、すなわち他人との関わりを良好なものにするためには正しい言葉を使い(正語)、正しい行いをし(正業)正しい生活をする必要がある(正命)。

他者との関わり合いの中で時に苦しみを感じることがあるが、常に「一切皆苦」や「縁起」を思い出す心の落ち着きを持ち(正念)、自己と対話をする時間(正定)を設けて、日々振り返りを行い、成長していく。

私は八正道をこのように捉えています。

 

〇慈悲

このように考えていけば、絶対的な我(アートマン)に対するこだわりはなくなります。そうすると自分と他者の区別があいまいになってきます。生きとし生けるものすべて(一切衆生)に縁起があるのであれば、その間にはお互いに慈悲が必要である、という考えに至ります。

慈・・・他人に楽しみを与えること

悲・・・他者の苦しみを取り除くこと

他者の喜びを自分のことのように喜び、他者の哀しみを自分のことのように哀しむ。

こういったことができれば、他者との葛藤や欲が薄まり、心の平安が得られるということだと、私は解釈しています。

 

では、「教養としての宗教学」の第1弾はこの辺りにしたいと思います。長きにわたりお付き合いいただきありがとうございました。

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