【気まぐれ読書感想文】「銀河鉄道の夜」と宮沢賢治(前篇)

気まぐれ読書感想文

皆さんは宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』をご存じでしょうか。

ジョバンニとカムパネルラが宇宙を走る銀河鉄道に乗り、様々な人物と出会い、『本当の幸(さいわい)』を探していく物語。

さまざまな解釈がありますが銀河鉄道は冥界を走る列車で、乗車した人をそれぞれの魂に応じて違う停車場で降ろしていくことを暗示しています。

いつまでたっても自分の罪に気付かず改めようとしない鳥捕りは永劫の輪廻を、船の事故で仕方なしに神に身をゆだねた信心深い人々はサウザンクロスで、自ら命を投げ出して友を救ったカンパネルラは天上界で、降りてゆくのです。

宮沢賢治の「最終論文」とさえ言われる作品で、賢治の、人生についての考察がまんべんなく織り交ぜられている作品です。

「けれども本当のさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが言いました。

「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。

ラストで二人の人間らしい葛藤がうかがえます。

「幸い」について明確な答えを出せずに、このあとジョバンニは現実界へ戻ってカムパネルラの死と向き合うという幕切れです。

小学生のころにこれを読んだ時、あまりの切ない終焉に身もだえるほどの理不尽さを感じたことを思い出します。

賢治はいったい何を伝えたくてこの物語を描いたのか、正直私には理解できませんでした。

しかし、以前古本屋で見つけた『銀河鉄道の夜』第三次稿を読んで、本当の幸せは何なのか、それを考え続けることが大事だと、賢治は教えてくれているように思えてきました。

『銀河鉄道の夜』は第一次稿から第四次稿まで、書き足し、改稿が七回も行われているそうです。

私たちになじみ深いストーリーが第四次稿です。

実は第三次稿までのものと第四次稿の間には決定的な違いがあります。

第三次稿まではジョバンニの銀河鉄道の旅は「ブルカニロ博士」が見させた夢ということになっています。

この博士が何者で、何のためにそのような夢をジョバンニに見せたのかは不明ですが、ジョバンニに『みんなのためにほんとうの幸福をさがすぞ。』と決意をさせる重要な役割を演じています。

ところが第四次稿ではこのブルカニロ博士の存在が消えているのです。

第三次稿では銀河鉄道に乗るまでのジョバンニの孤独が痛いほど描かれています。

星祭りの夜なのに遊ぶゆとりもなく、同級生のザネリにからかわれ、病気のお母さんのために牛乳屋に行っても冷たくあしらわれ、『銀貨が一枚さえあったら』と現実的な悩みを抱え、クラスの人気者であるカムパネルラと親友に「なりたい」と願っています。

つまり私たちがよく知っている『午後の授業』の描写がないどころか、カムパネルラとも一緒に星図板を眺めるような仲ではないのです。

カムパネルラはいわばクラスの人気者で、ジョバンニにとって理想的な憧れの存在でした。

孤独と絶望に疲れ果てたジョバンニは銀河鉄道の旅に出ます。(ブルカニロ博士の登場、夢への誘いがあるはずですが、その部分の原稿約5枚が抜け落ちており詳細が分かりません)

鳥捕りや蠍の炎など銀河鉄道のエピソードは我々がよく知っている内容と同じですが、カムパネルラが消えた汽車に再び「セロのような声」のブルカニロ博士が現れます。

『僕はカムパネルラといっしょにまっすぐに行こう』と誓ったのに、と泣くジョバンニに、ブルカニロ博士は言います。

『けれどもいっしょに行けない。そしてみんながカムパネルラだ』と。

『どうしたら幸せが見つけられるのか』と問うジョバンニに、『ああ、わたくしもそれをもとめている』と答えます。

そのあと博士は、幸福論や神様の存在について延々と述べます。

『信仰も科学のように実験で証明できれば』という博士のセリフは、賢治の、『世界がぜんたい幸福にならないうちは一人の幸福はあり得ない』という考えを証明するための、清くも乱暴な結論のように聞こえます。

乱暴、というのは意外かもしれません。

宮沢賢治といえば地元の農地改革に取り組み、「酒も飲まずカカアも持たず」という潔癖で、自己犠牲をテーマにした童話を書き続けた聖人のようなイメージがあるでしょう。

しかし私はこの原稿に、賢治の崇高すぎる精神と孤独と葛藤を読み取ってしまうのです。

次回、賢治の思想や友人関係を見ながら考えていきたいと思います。   

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