【歴史から学ぶ民主主義1】古代ギリシアと現代社会①

歴史から学ぶ

学習塾の教室長時代、「歴史ってなんのために勉強するの?」と生徒さんたちから真顔で聞かれたことがあります。

「甘いもの食べすぎたら「太った~」って言ってダイエットするだろ。甘いものを取りすぎない、適度な運動をする、ってことを学ぶわけじゃん。そうやって人間って失敗から学んでいくんだけど、全部を経験できるわけではないじゃん。だから、こういう時うまくいくとか失敗するとかを、先に生きてきた人たちの経験を勉強することで生きやすくなるんだよ」

大体そのような答え方をしていました。

特に昨今は子どもたちの間でも「コスパ(無駄な手間をかけずに成果を得る)」「タイパ(無駄な時間をかけずに成果を得る)」などという言葉が広がっていましたので、「いちいち経験から学ぶほうがコスパ、タイパ悪くね?」というような話をしていました。

さて、参院選が近づいてきましたが、この政治システムに関しても、これまでの人類の叡智が積み重なってのことです。もちろん政治不信などでいろいろ言いたいことがある人もいると思いますが、ではどのような政治スタイルがいいのかを考えたときに、「それ2500年前にもギリシアとかローマの人たちが同じことを言ってて、経験して、ダメだったって証明されてるよね」となりそうな議論が展開される可能性があります。

独裁制も寡頭性も民主制も、人類はこれまで経験してきました。いずれも人類の試行錯誤の賜であり、庶民の意見が政治に反映されるようになるまでどれほどの時間と命が費やされてきたかしれません。

今回は、「歴史から学ぶ」という視点で、古代の民主的制度についてみていきましょう。個人の意見が社会に反映されるようになるために必要なことが、見えてくるかもしれません。

 

<1、参政権は「義務」を果たした者から!>

古代ギリシアは、古代オリエントの影響を受けてクレタ文明などのエーゲ文明が花開きました。そしてギリシア人が作ったミケーネ文明が紀元前12世紀ごろに崩壊した後、約400年の「暗黒時代」が続きます。

そののち紀元前8世紀ころからギリシアのいたるところで「ポリス」という都市国家が形成されます。代表的なポリスはイオニア人が作った「アテネ」とドーリア人が作った「スパルタ」です。それぞれ独自の政治システムを築いていたギリシア人にも、「我々はギリシア人だ」という同朋意識がありました。それを育んだのはオリンポスに住む神々を信じる共通の信仰でした。

ポリスには3種類の人間が住んでいました。貴族、平民、奴隷です。貴族は土地を持っている金持ち、平民は貧乏人(失礼)でまとめて自由民と呼びます。そしてその下に奴隷がおり、彼らは人格を認められていませんでした。奴隷になるのは3パターンです。借金が返せなくなって奴隷に転落した債務奴隷、戦争に負けた人たちが勝者によって奴隷とされた戦争奴隷、そして海外から輸入されてきた異民族の人たち。古代社会では、奴隷は商品の一つだったのです。

この時代、参政権は貴族のみに与えられていました。つまり金持ちしか政治に参加できなかったよと。なぜか? 参政権という権利と兵役という義務がセットになっていたから。すなわち、「戦争に行かない奴らには参政権は与えられない」ということです。当時のギリシアは土地の生産力が低く、人口が常に食料を上回る状態で、食べ物をめぐるポリス同士の争いが絶えませんでした。戦争に行くのは当たり前の世の中だったのです。

さらにもう一つ、「武器自弁」すなわち武器は自分で用意しなさい、ということです。これでは貧乏人の平民は武器を買うことはできません。したがって平民は従軍できないということになります。それで戦争に行くのは貴族だけ、よって参政権があるのも貴族だけ、ということになります。

 

この時点で現代は恵まれていますよね。日本国民であれば18歳以上にはすべての人に参政権が認められているわけです。よって私たちは参政権を「当然の権利」と思っていますが、こうなるまでには長い年月がかかりました。日本で選挙が行われたのは1890年(明治23年)ですが、その時選挙権を持っていたのは「直接国税15円以上を納める25歳以上の男子」でした。計算方法にもよりますが現在の価格で60万から70万円の納税を果たしていた25歳以上の男子のみ。現在の年収に換算すると1,200万円くらいの人でしょうか。当時の人口の1.1%に過ぎませんでした。当初は「金持ちのための政治」だったといわれる所以です。最初歴史の授業でこれを学んだときは「なんてひどい」と思いましたが、国の方針を決める選挙に参加できるのは国に貢献した人から、という理屈を理解すると一理あるように思えます。一見理不尽に思えることも、当時としては最善の解だったかもしれない、ということはよくあることです。

 

<2、平民にも参政権が与えられていく過程>

さて、貴族にしか選挙権がなかった古代ギリシアですが、状況が変わってきます。紀元前8世紀からギリシア人は海外植民活動を行います。ポリス同士の争いで敗れた人々が新天地を求めて、また耕地の不足などにより地中海や黒海沿岸に多くの植民市を築いていきます。

またリディアに始まる金属貨幣の普及もあり手工業生産が発達します。生産量が増えると商品の値段は下がります。そして値段が下がった商品の中には武器がありました。また商工業の発達により富裕な平民も誕生してきます。こうして平民たちの間でも武器が買えるようになり、平民たちは青銅製の兜と盾と槍で武装し、重装歩兵として戦場に向かえるようになりました。

すなわち武器を自弁し軍役を果たしたのですから、平民たちも当然の権利である参政権を貴族たちに要求するようになります。

当時ギリシアの政治体制は「貴族共和制」というもので複数の人間が話し合いをしながら進める政治を行っていました。

これに対して平民の参政権要求を受け、初めて貴族が妥協したのが紀元前621年の「ドラコンの立法」です。これまでの慣習法を成文化して、法の内容が平民にも情報公開されたのです。

続いて紀元前6世紀初頭、「ソロンの改革」。世界史の教科書では「財産政治」として出てくるもので、市民を4つの階級に分け、それに応じた権利と義務を定めました。4つの階級の下には安くなった武器すら買えない貧しい市民もおり、この人たちを無産階級といいます。戦争に行けませんので参政権はありません。

またソロンは負債を帳消しにして平民が債務奴隷になることを禁止しました。債務奴隷というのは借金が払えないために奴隷に身をやつす人々のことです。このころには重装歩兵部隊が防衛の主力でしたから、奴隷に転落する平民が増えると軍隊が組織できません。また奴隷にされた人々は不満分子として社会不安のもとになります。それを恐れて借金を棒引きにしたのです。

昨今、無差別に殺傷事件を起こす人のことを「無敵の人」と表現することがありますが、貧富の差が拡大すると社会に対する不満を持つ人が「無敵の人」化する現象はあります。世界史上の暴動や革命は格差が拡大したときや増税したときに起こるものです。今の時代はどうでしょうか・・・?

 

次回は7月13日更新予定です。

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