有能な怠け者は指揮官に
有能な働き者は参謀に
無能な怠け者は最前線の兵士に
無能な働き者は、今すぐ殺せ
その昔、ドイツのとある軍人がこんなようなことを言ったとか、言わなかったとか。
その言葉をもじって「アクトク人材紹介株式会社」には上層部と担当部署にだけ不文律で伝わっている「裏社訓」がある。曰く、
「無能な働き者は、ライバル会社に送り込め」
「無能な働き者」の特徴。
・自己評価は高いが協調性がなく、何でも自分で判断し上司や同僚への報告もなく仕事を抱え込み、結果間違いを犯したり仕事が終わらずにその穴を埋めるために周囲に迷惑をかけたりする。
・しかしプライドが高いため反省しないので同じようなミスを繰り返す。
・何でも自分でやろうとするために効率を考えず長時間働き残業代がかかる。
というような、どこの組織にも部署に1人はいる「困った人」のことだ。
要するに正しい判断力や行動力が無いのに自分の判断で行動してしまう人。「余計なことをやってくれちゃう人」といってもいいかもしれない。その人の行動により組織に損害が出たり周りに迷惑がかかったりするような存在だが本人には悪気がない、という厄介なタイプのことである。
ところが、この「困った人」が実は会社を内部崩壊させるためにライバル会社から送られてきた刺客だったとしたらどうだろう。どう考えても自社の利益にならないような働き方をする人間が、実は天然ではなく計算づくで行動していたとしたら・・・。
そんな小説のような展開があるはずはないが、ここアクトク人材紹介株式会社は「結果として」それに近いことを「図らずも」行っていた。
転職支援事業と中小企業のM&A事業を2本の柱とし、様々な業界とパイプを持っている「アクトク人材紹介」。時には懇意にしている会社がライバル企業の混乱を望んでいるという情報がたまたま耳に入った場合、ライバル企業にたまたま無能を紹介することはある。なにせ転職市場には一定数「無能な働き者」がいるものである。まともな転職活動もできないようなこの者たちにも、どこかでは働いてもらわなければ日本の経済は停滞する。SPI試験の結果も振るわない、すなわち小学生レベルの算数も怪しい彼らに、まともに就職活動をしても受からないような会社を斡旋してやるのだから感謝されてもいいくらいだ。その後転職先の会社でうまくやれるかどうかはその本人の努力次第で、そこまでの責任は持てない。
先日も得意先の中堅化粧品メーカーのライバル会社の企画職に「無能な働き者と思われる」人間を紹介した。彼の良いところを「多少」デフォルメした職務経歴書を送り付けた。そこから先は、彼がどういう人材かを判断するのは先方の人事の仕事だ。今回は、先方の人事に見る目がなかったというだけだ。彼はプライドが高く御多分に漏れず協調性がないので職場内の雰囲気は悪くなっているようだ。それにこの彼は最近発注ミスをしたらしい。スキンケア製造の際に必要となる香料を必要数の100倍発注したとのことだ。香料0.01%の商品を作るために必要な量を、小数点を間違えて計算していたらしい。さすがSPI試験の「食塩水」が0点だっただけある。当然その会社は大変な在庫を抱えて大きな損失を出しているらしい。
このように、企業スパイなどと大それたことをしなくても、何かやらかす確率が高い人間は一定数存在する。「優秀な敵より無能な味方の方が怖い」という言葉もあるように、頭が悪い人間、プライドが高い人間、反省しない人間は送り込むだけで勝手に組織をかき乱してくれる。決して狙って行っているわけではないのがポイントだ。これをわざと行っていたら糾弾されるかもしれないが、そんな証拠はどこにもない。それに、ごくまれに無能と思っていた人間が活躍し「使える人材」として転職先に定着することもある。すべては、その人次第なのである。アクトク人材紹介としては、無能である可能性が高い人間にも転職のチャンスを与えているだけなのだ。
今回の依頼は学習塾「第一学力塾」を経営する「株式会社第一学力社」であった。最新のAI学習機能を搭載したタブレット学習で成果を出している「第一学力塾」は、起業から2年で都内に60教室を展開している注目のスタートアップ塾であった。代表取締役社長の澁谷太一から依頼を受けたアクトク人材紹介の転職事業兼M&A事業統括主任の下北沢鉄夫はさっそく打ち合わせに臨んだ。
「狙っているのは京王井の頭線富士見ヶ丘駅です」
開口一番澁谷は言った。
年齢は33。国立大学出身。学生時代にバスケットボールで鍛えた180センチを超える恵まれた肉体にワイルドなイケメン、多くの人を巻き込む魅力が溢れている若社長である。澁谷と同年代であり、高学歴、高身長、高収入と一昔前の「3高」を地で行くような下北沢は、澁谷の会社立ち上げ時から彼の会社を担当している。転職エージェントとして、またM&A事業の担当者として打ち合わせをこれまでも数えきれないほど行ってきた。
「杉並区ですか」
下北沢は地図を見ながら答えた。
「ええ。教育熱は高いはずです。中学受験塾で有名なサピックスが初めて東京に校舎を構えた地域が杉並区ですからね。もちろんその中でも地域差はあるでしょうが、井の頭線沿線は塾のマーケットとしてはいいんじゃないかなと考えています」
「そうですか」
「それに、この駅には名だたる学習塾がないんですよ。大手や中堅の学習塾は急行が停まる隣の久我山駅に集中していて、富士見ヶ丘駅周辺には個人が経営しているいわゆる「町塾」が点在しているだけなんです」
「だから駆け出しのチェーンの塾が新規出店するにはいい地域だと」
「はい。そして注目しているのが、駅から徒歩2分の所にある「旬学舎」です」
「ずいぶん立地がいいですが、町塾ですか?」
「ええ。公務員を定年退職した方がやっていた集団形式の塾なんですが、この度経営者の方が亡くなりましてね。臨時で塾長を募集しているそうです。」
「ほう」
「そこで、ここを買い取って「第一学力塾」の看板にしたいんですが、前任の方がなかなか堅実な経営をしてましてね。40人くらい生徒が残っていて、黒字経営なんです。今の状態であればあまり安値で手放すことを遺族の方が承認しないと思うので、我々としては経営がうまくいかなくなって赤字になり始めたくらいのところで、安く買収したいと考えておりましてね」
下北沢は資料に目を落としながら頭の中で話を整理し始めた。
要するに・・・、この塾の塾長に「無能」を送り込めばいいということか。これまで先代が築いてきた信頼と売上を崩してもらって、二進も三進もいかなくなったところで「株式会社第一学習社」が建て直しのために手を差し伸べる。経営に自信がある澁谷にとって赤字教室を黒字化することは容易いことだと考えているのであろう。経営が立ち行かなくなった塾長が目先の金欲しさに好立地の塾を二束三文で手放せばしめたものだ、ということか。
「分かりました。「旬学舎」が塾長交代で経営が傾きだしたら、買収の準備を進めます。塾は受験が終わる3月に一番売上が下がるでしょうから、半年を目途にお待ちください」
澁谷と別れた下北沢はすぐに仕事にとりかかった。
サイトに登録しているリストでソートをかける。履歴書、職務経歴書、顔写真も精査する。
まず、今回の案件で女性はダメだ。学習塾の顧客は子どもとお母さんだから、女性だとどうしても情が移り熱心に仕事に取り組んでしまうだろう。
男性であることは必須。若くてイケメンもNG。年齢は30代後半以降。上はいくつでもいい。見た目は並以下(顔写真でランキングがしてある)。学歴は高卒かボーダーフリーいわゆるFラン大学が望ましい。一気に信頼度が下がるであろう。これまでリーダーや管理職の経験がない者。すぐに買収されて無職になるので既婚者もNG、独身であること。
なかなかの「低スペック」な条件だが、あてはまる人材は山ほどいる。本当に、日本の行く末に不安を感じる。今回は仕事が仕事だけに高卒と聞いたこともないようなFラン大学出身者をチェックしていった。
そうして何名かに絞り、そのうち連絡が取れたのが福永英二、38歳であった。この7月に12年勤めた外資系マーケティング会社を整理解雇されている。外資系企業で働いていたといっても語学の欄が空欄になっているから英語はあまり得意ではないのだろう。それに38歳にして役職がついていない。ということはかなりうだつの上がらない社員だったことが想像できる。身長168センチ、体重50キロ、眼鏡をかけて地味な印象、この年で額が広く、なかなかの貧相な見た目をしている。今しがた調べたそばから名前を忘れてしまうような大学出身というのも気に入った。沈みゆく学習塾の「最後のリーダー」としてふさわしい低スペック人材である。
<続く>
次回は10月3日更新予定です!


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