<前回までのあらすじ>
都立入試で合格に近づくためには2つのアプローチが大切だ。一つは内申点(通知表の数字)を上げること。もう一つは当日の得点力を上げること。
緑川妙恵は鈴木一郎が杉並高校に合格するためのシミュレーションを行った。その結果、受験まで5カ月という10月の段階でマイナス100点のギャップがあることを導き出した。本当に得点を伸ばせるのか怖気づく一郎に妙恵は聞く。
「では1教科あたりで考えてみるとどうかしら? 100÷5(教科)=20点。都立入試の小問は一つ4~5点。つまりあと5問くらい正解すれば目安点に届くの」
親子が穴の開くほど模試結果を眺めている。
「どうかな、一郎君。入試本番までおよそ5カ月。1カ月に1問正解を増やすイメージなんだけど、目標までのギャップを埋められそうな気がしない?」
「します!」
即答だった。
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「だよね。今回の模試結果見てごらん。落ち着いて取り組めばできた問題もなかった? 数学とか」
「計算ミスがなければ15点取れました」
「そういうこと。それでだいたい偏差値50。それに、理科や社会はまだ覚えきっていないところがあるでしょ? まずは知識を答えるだけの問題は取れるように復習をすればいいと思わない?」
「はい、思います!」
「だね。つまり、君が行うべきはケアレスミスの撲滅と知識のインプット。正答率7割以上の問題の解き直しと理解。これから行うであろう10月の模試も同じよ。それらを11月の定期テストの勉強をしながら頑張るんだ」
ただし、どの中3生もここから頑張るからちょっと努力したくらいじゃダメだけどね、と福永は心の中で毒づく。
しかしやることが明確になったようで、一郎も母親も目を輝かせているのが分かった。
「ところで、こういった模試の分析や定期テストの勉強と受験勉強とのバランスを取るのは、一人でできそうかな?」
「う~ん、ちょっと厳しいです」
「だと思うよ。だったら自習室に入り浸ってはどう?」
「はい」
「で、本当に理解できているかのチェックや分からないところの解決は自分でできそうかな?」
「いや、たぶん無理です」
「だとしたら、いつでも先生に質問できるコースのほうがいいね」
「と、思います」
「お母さん、こういうことなんですよ」
妙恵は母親に視線を移した。
「一郎君はすでに受験勉強に遅れをとっています。そもそも必要な知識がインプットされていません。したがってまずはこれまでの総復習が必要です。それには授業で「教わる」時間をたくさん取るよりも自学自習でどんどん進めるのが効率的です。しかしおそらくこれまでの習慣から、一人で勉強をやり切るのは難しいでしょう。分からない問題で手を止めている時間はもうありません。分からない問題があればすぐに講師に質問して、疑問をどんどん解消しなくてはいけません。授業だけでなく自学習と質問対応で急ピッチで仕上げる必要があります。残り5カ月で逆転させるために、勉強時間の確保と講師のスタンバイをさせてください。通常の集団授業38,500円に加えて質問し放題コースの5万円、計月額88,500円、このプランでやらせてください。もしこれをご納得いただけない場合は、当塾では責任を持ってお預かりすることはできませんのでご了承ください」
19歳の少女が大人顔負けの営業トークをしていることに福永はただ妙恵を凝視していた。まあ、どうせ高額な月謝を理由に断ってくれるだろうが、売り込みの姿勢は合格だ。
「分かりました、そちらのコースで今月からよろしくお願いいたします」
鈴木母は即答した。
「・・・はい?」
思わず福永、声を出す。
おかしいでしょ、さっき金銭的な心配してたでしょ。この金額って個別指導週7回受けるより高いと思いますけど・・・。この時期に学習習慣身に付いていない中3を受け持ちたくないんですけど・・・。お母さん、空気読んでよ!(以上、福永の心の声。)
「あの・・・、よろしいんですか?」
福永が声を絞り出す。反比例するように母親は毅然とした態度で言った。
「はい。模試の結果をちゃんと説明してくれて、可能性を見せてくれたのはおたくが初めてでした。そして必要なものは必要だとしっかり言ってくださったのも信頼できました。頑張るのはこの子ですが、勉強の「やること」と「やり方」を示してくださったので、とても安心しました。ぜひお願いいたします」
安心なんかすんなよ、みんな頑張るんだから今から始めても手遅れだろ、常識的に考えて!(以上、福永の心の声。)
「・・・承知しました。じゃあ一郎君、一緒に頑張りましょう!」
妙恵は立ち上がり、一郎の目の前に右手を差し出した。
「はい!」
スポーツマンらしい返事をして一郎は妙恵の手を握り返した。
こうして初面談で入会を決めてしまった。
預かった以上は責任を持って受け持つしかない。福永はそこから大慌てで都立入試の過去問を数年分解いて傾向を掴んだ。何しろ福永が受験をしたのは20年も前の話。傾向も難易度も変わっていたので苦労した。まず、勉強から遠ざかっていた大人が制限時間の50分で試験問題すべてを解くことは全教科ほぼ不可能だった。ショックだった。コンサルのプレゼン準備より難しいのではないかと思った。
それからは一郎に対しての復習単元の自習指示と進捗確認の段取り、質問対応と定期テスト対策の進め方を妙恵と話し合い、任せ、進捗を常に確認した。福永自身は学校の勉強などとうに忘れているので質問対応はできない。頑張っている一郎を褒め、おだて、何とか盛り上げていった。
結果として一郎は2学期に換算内申を6つ上げ、学力の伸びもすさまじいものがあった。自信を持った一郎は志望校を調布南高校に変更し、見事合格した。
中学3年生の10月、偏差値42からの入会で志望校を2~3ランク上げての合格ということが地域に広まり、何件かの口コミ、紹介を産み3月の問い合わせにつながった。
受験が終わってホッと一息ついた3月、教室から見える桜並木を眺めながら福永は妙恵に聞いた。
「鈴木君さ。絶対に断ろうねって話してたのに、妙恵ちゃん彼のやる気上げようと励ましたじゃん」
「はい」
「あれってやっぱり、あの時の鈴木君を見て放っておけなくなったわけ?」
「そりゃそうですよ。何とかしてあげたいと思うじゃないですか」
「難しいとは思わなかった?」
「そりゃ、思いましたけど・・・」
「何とかするしかないかな、みたいな?」
「はい」
おそらく本当に目の前の生徒を何とかしたいという思いだけで突っ走ったのだろう。
「本当に、そういうところお母さんに似ている」
福永は言った。春の陽気も相まって、懐かしさに胸が少し痛む。
「誰にでも優しくて、誠実に人と向き合おうとするところ。ちょっとだけ不器用なところも」
「塾長は・・・」
そういえばこの頃はまだ福永が塾長だった。
「塾長は、母のそういったところが好きだったんでしょ?」
無邪気な微笑みを向けてくる。
もうかれこれ20年も前の話だ。若かりし日の心のざわめきはとうに消え、今となっては甘くてほろ苦い、いくつか通り過ぎた恋の思い出の一つに過ぎない。福永は軽く微笑んで言った。
「うん、好きだったよ」
それを聞いて得意そうに見つめる妙恵と目が合った。若かりし日の祥恵さんの面影を見た。そして福永の脳裏になぜか雨に濡れて鮮やかに輝いている紫陽花一群が浮かんで消えた。
<続く>
次回は10月17日更新予定です。


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