【小説・サクラサクまで22】裕香の進路選択③ 歴史って勉強する意味ありますか?

小説・サクラサクまで

<前回までのあらすじ>

高校1年生の高井戸 裕香(たかいど ゆうか)は進学すべき大学、学部、将来の夢が分からずに悩んでいた。しっかり自分の将来を考え、着実に歩み始めているクラスメイトの東松原 一絵(ひがしまつばら かずえ)に感心しつつ、自分の将来を決められていないことに焦りや不安を感じていた。

学校から家に向かう途中で母から帰りにスーパーに寄って牛乳を買ってきてというLINEを受け取った裕香は、この街唯一の大型スーパー「いろはスーパー」に立ち寄った。

ちょうど夕食の献立を考える主婦たちでにぎわっていた。

入ってすぐの青果コーナーで台の上に野菜を並べて屋台のたたき売りのように声を張り上げているオジサンを見つけた。

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「さあ、今日は一足早く、京都から壬生菜が届きましたよ! 大変お安くご奉仕いたしますので、奥様、ぜひもらってちょうだいな!」

聞き覚えのある甲高い声。

普段塾で聞き慣れているうるさい声。

教室長の福永英二だった。

そういえばこのオジサン・・・。

と裕香は思った。

どこの大学で何学部出てるのかしら?

裕香は入り口で買い物かごを引き抜き、青果コーナーにまっすぐと歩いて行った。

「お、裕香氏」

裕香を見つけるなり教室長の福永は声をかけてきた。

年齢は40歳という。1年ほど前に「旬学舎」の塾長に就任してきた。なんでも前は外資系の会社にいたとかで、やたら世の中のことを話してくれた。元気が良くて明るいのはいいけれど、あまり教育者とは思えないようなガサツな雰囲気がある。聞くところによるとあまり有名でない大学を出ているとかで、あまり勉強のことで話してくれることはなかった。

今年の3月ごろに元講師だった吉祥寺 妙恵(きちじょうじ たえ)先生に塾長職を譲り、自分は妙恵先生に雇われる教室長として働いている。20歳の女の子に雇われる40歳のオジサン・・・。プライドはないのかしら? それに塾の売り上げは厳しいらしく、平日の午前中から夕方までこのスーパーでアルバイトをしているらしい。そして毎週木曜日は夜のシフトにも入っているらしい。でも、今もこうしてスーパーの青果コーナーでバナナのたたき売りのように声を張り上げて商品を進めている姿はけっこう似合っている。塾の先生というよりまるで的屋のおっちゃんだ。後退し始めた髪をごまかすために3㎜にしている坊主頭にねじり鉢巻きを巻いて法被を着ている姿なんて、本当にお祭りの屋台で物を売っているような人に見える。

そんな感想を抱きながら裕香は福永に近づいて行った。

「こんばんは」

「お使いかい、裕香氏」

福永は生徒を下の名前で呼んで「氏」を付けていた。一度理由を聞いたら、名字でくん・さん付けだと堅苦しいし、そうかといって20以上も年が離れた子どもを下の名前でなれなれしく呼ぶのも申し訳ないと思っているらしかった。

「はい、牛乳頼まれちゃって」

「ご苦労さん、ご苦労さん。結構毛だらけ猫はいだらけってやつだ」

すっかり的屋モードに入っている。昔日本を代表する国民的な的屋家業を主人公とした映画の影響を受けているらしい。自分を故渥美清演じる「とらさん」だとでも思っているようだった。

「これが今日のおすすめ?」

「そう、京都名物の壬生菜が入りました!」

「へえ、旬なの?」

「旬は12月から3月だけど、一足お先にお目見えです」

「そうなんだ。京都で有名なの?」

「そうよ。古くから京都の名物として有名なんだな。知らなかったかい?」

「知らなかった」

裕香が答えると福永は鼻を膨らませて手作り感満載の扇で台を叩いてから落語家のような口調で言った。

「昔っから京都で有名なものと言いますってえと、水・壬生菜・女・染物・針・扇・お寺・豆腐に・人形・焼き物、と申します」

本当に板についている。昔は落語家でもやっていたのではないかと一部の塾生ではささやかれていた。

「知らない、なにそれ」

裕香は思わず笑う。

「そういうのがあるんだよ。こちら東京、江戸の名物と言いますってえと」

「よっ! フッチー!」

裕香が合の手を入れる。フッチーとは塾生の間で広まっている福永のあだ名だ。

「武士・カツオ・大名小路・広小路・茶店・紫・東錦絵・火事と喧嘩と中ぅ腹・伊勢屋・稲荷に・犬の糞」

「汚い、最後! 食べ物扱ってるんだから遠慮してよ!」

裕香が顔をしかめるのを嬉しそうに笑う福永。小学生の頃は女の子をからかうことに喜びを見出す典型的な腕白少年だったのかしらと裕香は想像した。

次々と壬生菜を買っていく列が一段落したところで、裕香は福永に声をかけた。

「先生、進路のことで相談したいことがあるんだけど、今週の土曜日の夜時間もらえますか」

「ああ、いいよ。進路ね。そろそろ理系か文系かの調査があるだろう」

福永は塾の先生の顔に戻って言った。

「そうなの。一応国公立受けられる科目構成にはしようと思っているんだけど、理系か文系かももちろんだけど、行きたい大学とか学びたい学部もないし。将来の夢もないしさ」

迷ったら理系、でとりあえずはいいんじゃないか?」

「それは中学卒業の時にフッチーに言われたからそのつもりで来たけど」

「偉いじゃん、先生の教えを守って」

「素直さは私の長所だから。その代わり自分で考えるのが苦手っていう弱点はあるけど・・・。理系から文系への変更は科目的にもできる。でも文系から理系科目への変更は難しい。それに私立大学だと文系学部でも数学を試験科目に使えるところがあるから最終的に社会を捨ててもいい

「そうゆうこと。社会は苦手?」

「苦手ではないけど、得意ではないかな。ねえ、歴史なんてさ、過去の話なのにどうして勉強しなくちゃいけないの?」

本心から悩んでいるわけではないが、時々勉強が面倒くさくなる時がある。そんな時に裕香が真っ先に必要性を感じないのが歴史だった。いくら事実を知っても過去起こったことでしかない。それを一生懸命勉強して何になるのか。英語はまだ実用性がありそうだし、国語力は何をするにも必要だろう(古典と漢文は勉強する意味が分からないけど)。数学は論理的な思考を鍛えることに役立ちそうだし、理科の知識がなければスマホも電気もない、文化とか文明が全くない生活だろうし、家庭科は何なら生きていくうえで一番重要な教科かもしれない。保体の知識もダイレクトに役立ちそう。美術はまあ、絵描きにならなくても絵を使って相手に伝えるスキルが身に付く。けど、歴史って・・・。

見ると福永も腕組みをして首をかしげている。

「そういう難しい話をオジサンに振られてもなあ・・・」

だったらなんで教育業界で働いてるのよ、と思わず突っ込みたくなる。

「まあ、その、なんていうのかな・・・。ほら、裕香氏が高校選ぶときってすごくワクワクしたろ?」

「え? まあ」

「なんでワクワクしたかっていうとさ、お母さんの高校時代の話とか、塾の大学生の先生の話とかを聞いて、「ああ、高校って楽しそうだな」って思ったわけじゃん」

「うん」

「要するにさ、誰かの「過去」の話を聞いて自分の知らない世界が想像できて未来がワクワクしたわけじゃん。過去の話を聞いて未来の自分にワクワクする、そのために昔のことを知るんじゃないのかい?」

「そうなのかなあ・・・」

そう言われれば、何となくそんな気もしてくる。結局裕香が「将来役に立つかも」と感じている数学の公式や英語の構文や理科の実験結果なんかも、「過去」の誰かが発見した法則を学んでいるに過ぎないと言われればその通りだ。そして過去あったことを学ぶから現在の世の中の全体像がぼんやりとでも分かり、未来に向けて踏み出せるのかもしれない。まあ、そうはいっても誰が何年に何をした、という細かい年号まで必死に覚えるのは意味がないような気もするけど・・・。

「とりあえず、腹が減ってたら考えも暗くなるから、壬生菜でも食べなさい。カリッカリに炒めたベーコン入れてサラダにすると美味しいよ。レジで言ってくれればサービスしておくから」

そう言って福永は裕香の買い物かごに壬生菜一束を入れた。どこからどう見ても八百屋のおっちゃんである。

裕香は礼を言ってから牛乳売り場に移動し、いつもの銘柄に手を伸ばした。

すると、横で品出しをしていた女性店員に

「あれ、高井戸さん?」

と声を掛けられた。

見上げてみると、同じテニス部の1年生池ノ上 範子(いけのうえ のりこ)がいろはスーパーの制服にエプロン姿で佇んでいた。

「あ、池ノ上さん、こんにちは」

コクッと頭を下げて挨拶する。「池ノ上さんのバイト先ってここだったんだ・・・」

範子は同じテニス部だが、あまり話したことがなかった。裕香が木曜日のオフ以外はコートでの練習と18:30までの筋トレやミーティングに毎回参加し、土日の自主練にも取り組んで大会での入賞を狙ういわゆる「ガチ勢」に対して、範子は土日の練習にはほぼ参加せず、筋トレやミーティングにも時々参加する程度の、「エンジョイ勢」だった。部活のオフ日と土日は必ずバイトをしているとうわさでは聞いていたが、バイト先がこのスーパーであることを初めて知った。

「うん。高井戸さん、よくここ来るの?」

「あんまり。今日はたまたまかな」

「そっか。ここ新鮮なものばっかりだから、どれも安心して選んでね」

範子は明るく言うと段ボールの束を抱えてバックヤードに入っていった。少しのんびりした雰囲気があり、誰にでも笑顔で接する範子は悪い子ではない。

しかし・・・。その後ろ姿を見ながら、裕香は少し憂鬱な気持ちがしてくるのを感じた。テニス部内に、少なからず亀裂があったからだ。いわゆる部活「ガチ勢」と「エンジョイ勢」との確執。リーダーとして1年生をまとめていく必要があることを考えるとき、エンジョイ勢の子たちとのコミュニケーションをどうとっていくのかがいまだに分からずにいた。ガチ勢の子たちがエンジョイ勢に対して嫌悪感を抱いているのは誰が見ても明らかだった。それに対してエンジョイ勢もガチ勢に対していい印象を抱いていないことも十分伝わっていた。

そしてエンジョイ勢の中でも、最も部活への参加率が悪いのが範子だった。

 

<続く>

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