【小説・サクラサクまで4】35歳転職限界説

小説・サクラサクまで

福永英二が「旬学舎」の2代目塾長として就任したのは2023年8月のお盆明けだった。7月に12年間勤めた外資系マーケティング会社をクビになったばかりだった。クビ、という表現は彼の自尊心が許さないであろうから少し擁護すると、アメリカ本国の決定で福永が在籍している部署のサービスが日本撤退となり全員がリストラに遭ったのだ。外資系企業のドライな一面である。時に福永英二、38歳と9カ月であった。

この年で転職市場に放り出されたことに焦りは感じていたが、それよりも労働への意欲を失っている自分自身に気づいて愕然とした。人は何のために働くのかという、新卒か社会人2年目の青年青女たちが悩みそうなことをアラフォーの男が考えていることに自嘲せざるを得なかった。一つの企業で12年間、新卒で入った会社を合わせると15年ほどのビジネスマン生活で、何のために心身を疲弊させながら働くのかが分からなくなっていた。世のため人のためという志はなく、仕事は生活費を稼ぐ手段と割り切ることで何とかやってきた。そんな福永に誇れる実績やスキルなどあろうはずがない。困難を極めるであろう転職活動を想像すると気分が重たくなり、家から一歩も出ずに本を読んだりスマホでYouTubeを見たりする怠惰な生活が続いた。情報収集も就活の内、と自分を納得させて転職や就職を扱うYouTubeチャンネルをよく見た。転職アドバイザー、元転職エージェントなどが語るそれは福永を絶望させるのに十分だった。「35歳を超えたら転職は厳しくなる」「40代でも転職がうまくいくのは実績がある人」「30代後半で役職がついていなかったら転職市場では「要らない人などなど。

実はいくつか登録してある転職サイトでキャリアドバイザーと面談した際にも同じことを言われた。

「福永さんのお年で管理職の経験がないと、条件をだいぶ落として職探しをされた方が現実的かと思います」

要するに、30代後半で役職についていない人間は会社からも重視されていない、代わりがいくらでも効くどうでもいい存在なのだと思われるらしい。転職先の年収の何割かをもらう転職会社からすると、福永は紹介しても旨味のない人間と思われているのかと勘繰った。

だからといって・・・、会社で出世したかったかと言われると、どうにも頷けなかった。あの会社で出世したくない、というより、どの会社であっても仕事に対して本気で向き合うことはできないだろうと感じた。職業柄多くの企業や製品と触れ合う度に、もしかしたら世の中に出回っている商品やサービスの大半は必要のない物なのではないかという疑いと戦い続けた12年間だった。

福永の勤めていた会社はネットの閲覧数を調べたりネット広告のコンサルティングをしたりするような会社で、取引先は誰もが知る大企業ばかりだった。福永は企画コンサルティング部門という部署で働いていた。営業が取ってきた案件のデータ分析や販促手法の提案、セールスレターやキャッチコピーを考え、それらを営業に同行して大企業のマーケティングや広報の担当者にプレゼンし、コンサルティング的な話をする。非常に守備範囲の広い仕事であり、多くの大企業の猛者や商品と向かい合うことができるやりがいのある部署ではあった。それに最初は大企業と付き合える優越感があった。しかし、そのうち世の中を動かしているものの本質(だと福永は思った)に気づいて、自分の仕事に誇りを持てなくなっていった。福永の考えた世の中を動かしている本質、それは人の「」と不安や不満といった「」であった。そして世の中に出回っている大半の商品やサービスは、それらの「欲」や「不」を解消すると見せかけてさらに焚きつけたり、自社商品に依存させる対処療法的なものであったりするものだと感じた。承認欲求を満たすためのブランド品、ストレスを発散するための不健康な遊びや依存性のある食品や嗜好品など、本来なくてもいいものほど売れ、そういったものを扱っている企業ほど儲けていると感じた。そもそもストレスを感じないような働き方や人間関係を築くことができていれば必要ない物ばかりではないだろうかと、多くの業界の新商品のプロジェクトに関わる度に感じていた。(もちろん「ストレス」の捉え方を定義した方が良いのは当然であるが小説のテーマではないので割愛する。)しかしマーケティング会社である以上、自分が大していいとも思わない商品を数字の見せ方や文言で売れるように頭を使わなければならない。まるで自分が、太平洋戦争中に戦意高揚のために戦地の軍人に歌を披露した慰問団の一員のような気持ちだった。どう考えても人の健康を害するような嗜好品を扱っている会社が立派な自社ビルを建てて上場までしている現実を見て、自分の仕事に誇りを持てなくなっていった。それでいて、そういった大企業の製品やサービスが売れなければ自分の食い扶持も確保できないという事実に常に悶々とした思いを抱えていた。それに結局は自分も、疑問を持ったはずの商品やサービスに癒され、または依存して週末を過ごしているのも事実であり、考えすぎると自分の首を絞めることになりそうでいつしか考えることを辞めた。サラリーマンである以上、目の前の仕事に取り組むことが正解なのであろうと割り切った。仕事は「生活費を得るために」仕方なく行うものと割り切っていた。

だから部署が閉鎖となり全員がリストラになると聞いて、生活の不安はあったものの言いようのない解放感も同時に感じたことも事実であった。

   

「アクトク人材紹介会社」の転職アドバイザー下北沢鉄夫から連絡が入ったのは転職サイトに登録してから半月ほど経った頃だった。

 

<続く>

次回は10月8日更新予定です!

コメント

タイトルとURLをコピーしました