【心構え編6】寓話「3人の石切職人」 私なりの解釈

勉強法 心構え編

前回は3人の石切職人の話をしました。

では、この3人の石切職人の志を勉強に当てはめてみるとどうなるでしょうか。

「あなたはなぜ勉強しているのですか?」

1人目の石切職人はこう答えると思います。

「勉強しないと怒られる」

「テストでいい点取れればご褒美がもらえる

つまり、短期的な苦痛を避ける、短期的な快楽を得るという目的

2人目の石切職人はどうでしょう。

「新しいことを知ったりできなかったことができるようになったりすることが楽しい」

「テストで点数を取るのが嬉しい」

「いい高校、いい大学に行きたい」

「一生懸命勉強すれば大企業に入れたり公務員になれたりする」

勉強そのものが楽しい、という段階です。

3人目の石切職人は、

「自分が学んだ知識・教養・スキルを世の中のために活かしたい」

ご褒美や自分のスキル向上のためだけでなく、世のため人のために学ぶ志高い人です。

これは有名な寓話ですので、会社の入社式や進学校の訓示でよく話されるかもしれません。

この話をする先輩社員や教師の意図は、

「君たち、3人目の石切職人のように志高く頑張りたまえ」

ということなのでしょう。

たしかに、志があれば多少の困難があっても学び続けることができるでしょう。

3人目の石切職人は本当に素晴らしいと思います。

しかし私なりの解釈は少し異なります。

3人の石切職人とは、それぞれ独立した存在ではなく、仕事(勉強)を通して成長していく一人の人間の姿として捉えてもいいのではないか、そう思うのです。

もちろん私の勝手な解釈ですので判断は人それぞれで結構です。

が、勉強にしろ仕事にしろ、まずは自分のために頑張っていいと思います。

「学歴フィルター」が存在する現在において、やりたい仕事に就くために進学は必要。

そのために勉強すればいい。

選択肢が広がるのは事実です。

生きていくために仕事をする、つまり最初は「自分のため」でいい。

お金を稼ぐため、家族を養うため、家を買うため、車を買うため、出世したいからetc

そうやって自分の欲を満たす

やがて仕事というのは、誰かの役に立っていなければ成り立たないということに気づくときがきます。

つまり個人が仕事で成果を出すということは結局他者や社会のためになっていると気づく場面です。

そうなると、ではこのスキルや知識を人のために使っていこう、という段階が来ると思うんですね。

もちろん、これは私自身さささやかな人生経験しかありませんので、偉そうに語れる段階ではありませんが、やがてそのような境地にたどり着きたいとは思っています。

これは小さなことですが学生時代の部活動や委員会などですでに体験されている方も多いのではないでしょうか。

まずは自分が上達すること、褒められること、そのために一生懸命技術を磨くという段階がありました。

やがて後輩たちのことを考える、組織を考える、運営を考える、そういった段階を踏むことで自分自身も成長し、周りのことを考えられるようになっていった経験がある方もいらっしゃるでしょう。

自分という存在は決して自分だけのものではない。

自分の成長が組織の成長、ゆくゆくは社会や人類の成長ということにつながっていくのかもしれません。

つまりいきなり3人目の石切職人になれと言っているわけではなく、まずは自分のために頑張る時代があっていいと思います。

自分の経済的安定、心の安らぎを得ぬうちに「人のため」「世の中のため」というのは無理でしょう。(中には聖人君子のような人もいて、私の心が狭いだけかもしれませんが)

よく言われるマズローの「欲求の5段階説」です。

話が長くなりそうですので次回に繋げます。

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