今回はユダヤ教についてみてまいります。
ユダヤ教の教えを簡単にいうと、旧約聖書に書かれた契約を守ればやがてユダヤ人に「神の国」が訪れるという考え方です。「神の国」というのは物理的に現在のイスラエル、パレスチナにできるユダヤ人の国のことです。そしてユダヤ人を長い苦難から救ってくれる救世主が現れるという教えです。
タナハ、すなわち旧約聖書がいっているこの「救世主」こそイエスだとしているのがキリスト教徒であり、ユダヤ教の人たちはイエスを救世主とは認めていません。ユダヤ教の人たちからすると救世主は「これから現れる」存在なのです。
では、今回はユダヤ人の歴史を振り返ってみましょう。
【教養としての宗教学3】ユダヤ教概略
〇「ユダヤ人」? 「ヘブライ人(へブル人)」? 「イスラエル人」?
まず教科書的に出てくる呼び名、「ユダヤ人」「ヘブライ人(へブル人)」「イスラエル人」の違いを確認します。大前提として、すべて同じ部族を指す言葉で時代や立場によって呼び方が異なります。
イスラエル人=イスラエル民族の祖であるヤコブが神に与えられた呼び名です。
なぜか身分を隠した神と格闘して勝利したヤコブが神から「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ(創世記32章28節)」と祝福されたところから生まれた呼び名です。聖書的にイスラエル人とは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫のことです。
ユダヤ人=バビロン捕囚以降、ユダヤ教が確立し始めたころからイスラエル12部族を指していわれるようになりました。イスラエル12部族とはヤコブの12人の息子から出ています。
ヘブライ人(へブル人)=「川向うから来た人」という意味で、主にアブラハムやイスラエル人が異民族に自分たちを紹介する際に用いた言い方です。
【教養としての宗教学4】言葉の定義「ユダヤ人」「ヘブライ人」「イスラエル人」の違い
〇系図を確認
唯一神ヤハウェから祝福を受けたアブラハム。
そこからイエスまでの系図をたどると以下のようになります。
アブラハム → イサク → ヤコブ → (7代) → ボアズ (2代)→ ダビテ → ソロモン → (24代) → ヨセフ → イエス
聖書もアブラハム契約以前は世界全体の話が繰り広げられていますが、アブラハム契約以後はユダヤ民族の歴史にクローズアップしています。アブラハムを以てユダヤ人が選ばれたとする考え方がありますが、神はユダヤ人を通した人類救済プランを進めている、という解釈もできます。
この解釈の違いが後にキリスト教につながっていくのです。
が、どちらにしろキリスト教の開祖であるイエスもユダヤ人であることに変わりはありません。
【教養としての宗教学5】ユダヤ人の系図。アダムとイブからイエスまで
〇ユダヤ人の歴史(バビロン捕囚まで)
もともとは遊牧民で紀元前15世紀頃、カナンの地、現在のパレスチナに移住してきました。旧約聖書によりますと、ユダヤ人の先祖と言われるアブラハムが唯一神ヤハウェから啓示を受け、移住したということです。
ところが飢饉がありエジプトに移住します。そのエジプトでだんだん冷遇されるようになりついには奴隷になってしまいます。そこで紀元前13世紀頃、約束の地カナンを目指してエジプトを脱しようと計画します。これが「出エジプト」です。
聖書によれば、イスラエル12部族のレビ族出身のモーセが民を率いたことになっています。エジプトを脱した後、モーセはシナイ山という山に立て籠って神と対話をし、十戒を授かります。これがのちのユダヤ教の基本的な教えとなります。
自分以外の神を信じてはいけない、偶像崇拝をしてはいけないなどの決まりを守ればイスラエル人に栄光が取り戻されるということです。
ところが、モーセが40日間山にこもって帰ってこないのを不安に思ったイスラエルの民たちは、あろうことか偶像を作って拝み出してしまいます。
早速約束を破ってしまったということで、神の罰が下ります。
イスラエル民、あわや全滅か、という時にモーセの必死のとりなしにより許してもらいます。
が、これから後もイスラエルの人々は神との契約を破ったり神に文句を言ったりして神様に怒られています。
それから時代が下り、イスラエルの黄金時代を迎えます。
それがヘブライ王国という統一国家を治めたダビデ王、ソロモン王の時代です。
ところがソロモン王が神殿に多神教の神様を祀ったことによりまた神の怒りを買って、王国は南北に分断されてしまいます。
北側はイスラエル王国、南側はユダ王国となります。
イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされ、ユダ王国は新バビロニアに滅ぼされます。このとき多くのイスラエル人がバビロンに連れてこられますが、それをバビロン捕囚といいます。
しかし時代は栄枯盛衰、当時最強を誇っていたバビロンもアケメネス朝ペルシャに滅ぼされてしまいます。そのペルシャのキュロス王は比較的イスラエルに寛容で、イスラエル人はパレスチナに戻ることができました。
しかしこのバビロン捕囚の経験はイスラエル人にとって大きなトラウマになりました。
そこで考えます。
どうして我々イスラエル人はこんなに苦労ばかりしているのかと。
そして思い当たります。
トーラーに書かれていた律法を守らず、神に逆らってきたからだと。トーラーに書かれている律法はちゃんと守らないといけない、ということで、これまでの教え、神との契約をちゃんと守ろうという動きになります。
そのようにしてユダヤ教が確立してくる、という流れです。
では、神との契約をしっかり守ったユダヤ人に平穏は訪れたのでしょうか。
そうではありませんでした。皮肉なことに、厳格に契約を守ろうとすればするほど無理が生じ、ユダヤ教の指導者たちと対峙する形でイエスの登場を迎えることになります。次回見ていきましょう。
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【教養としての宗教学6】ユダヤ人の歴史 バビロン捕囚まで


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