〇苦悩多き青年時代
六師外道とほぼ同時期、釈迦は誕生しました。
今から2500年ほど前、インドのルンビニーの釈迦族の王子として生まれました。ヴァルナでいうとクシャトリアであり、大変裕福な生まれです。生後7日目に母を亡くしたことも影響したのか、内省的な青年に育っていきます。食べるものも着るものも何不自由なく与えられた釈迦でしたが、心の平安を得ることはできませんでした。
心配した父王が城から出て気晴らしに行くよう命じた際、東の門から出たときに老人と出くわします。
城には老人はいなかったので始めて見るその姿に釈迦は絶望します。
「人はいずれあのように老いていくものなのか」
そう虚しさを感じ城に引き返します。
またある時、南の門から出たときに病人を目にします。
苦しみあえいでいる姿を見た釈迦は、
「人はいずれあのような病の苦しみを味わう時が来る」
そう思い鬱々とした気持ちでまた城に引き返しました。
ある時、西の門から出たときに死人を目撃します。
「人はいずれあのように死んでゆくものなのだ」
その虚しさに打ちひしがれ城に戻っていきました。
ある時、北の門から出ていくと、一人の僧と出会いました。
真理を求めて修行しているその姿に心を打たれ、少しずつ釈迦の中に出家へのあこがれが芽生えたといいます。
「四門出遊」というエピソードです。
〇妻子を置いて出家
修行によって人生の真理にたどり着けるのではないかという想いから、釈迦は日に日にバラモンへのあこがれを募らせていきます。しかし王子としての身分があり、結婚をして妻子のある身となっていました。
釈迦は自分の子供に「ラーフラ」と名付けます。
「悪魔」とか「妨げ」の意味があるそうです。真理を求めたい自分を邪魔する妨げ、そういう意味だったとしたら少し子供がかわいそうですね。
バラモンへのあこがれを捨てきれない釈迦は29歳の時に、妻子を棄ててついに出家をします。
29歳・・・。
現在であれば一家の稼ぎ頭です。
それが家出をしたというのですから、現代の話に置き換えると何とも突っ込みどころのある話です。
〇様々な修行僧に弟子入り
釈迦の行く末を案じた父王は、釈迦とともに修行をする仲間を5人付き添わせます(のちの五比丘)。釈迦は次々と修行僧に弟子入りをしますが、優秀な釈迦のことですからどんどん師匠を追い抜いて行ってしまいます。
釈迦の問いに答えてくれる真理は悟れません。
やがて老い、病んで、死んでいく人の人生に何の意味があるのか。
心の平安はどこにあるのか。
釈迦が最後にたどり着いた修行は生死をかけた苦行、とりわけ断食でした。やせ衰えて肋骨が浮き出るほどに断食修行を重ねたといいます。
それでもまだ、悟りは開けず釈迦は絶望します。
〇断食中に粥を食す
ある時、釈迦は苦行では真理は悟れないと思い至り、山を下りる決心をします。29歳の出家から6年、釈迦は35歳になっていました。
ふらふらと街を歩いているとふと美しい琴の調べが聞こえてきました。
その時、釈迦はハッとします。
「琴の弦は張りすぎては切れてしまうし、緩すぎては音にならない」
何かが掴めそうだ・・・。
漠然とした光明を感じながらそのまま歩いていると、美しい女性とすれ違います。
スジャータというその女性は大変心持の優しい娘で、やせ衰え、今にも死にそうな釈迦を放っておけなかったのでしょう、一杯の乳粥を差し出します。釈迦は修業中の身、当然それを食すわけにはいきません。
しかし、釈迦はその粥を受け取り、ゆっくりとすすり始めました。
これを見た五比丘たちは、
「シッタールダ様は修業を放棄した!」
といって釈迦から離れていきました。
しかし、釈迦自身は手ごたえを感じていました。
栄養満点の乳粥を食し、すっかり体力を回復させた釈迦はブッタガヤの菩提樹の下で瞑想に入ります。
そしてついに悟りを開いたのでした。
〇人間くさい釈迦の姿
「神の子」イエスを思うと緊張しますが、釈迦には親近感を抱く、という方も多いのではないでしょうか。悟りに至るまでの釈迦の言動が人間くさいからでしょう。
奥さんと子供を棄てて旅に出たダメ亭主・・・
修業の途中で粥を食べた(一見すると)挫折経験・・・
何気に釈迦の苦行に最後まで付き合っていた五比丘・・・
我々に親しみやすい、ツッコミやすいエピソードがあるのも、釈迦の魅力なのかもしれません。
では、釈迦が悟ったこととは何だったのでしょう。
次回見ていきましょう。


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