【教養としての宗教学⑤】イエスの教え

教養としての宗教学

イエスの語ったことを見ていきましょう。

「救い」と言うことに関して、ユダヤ教では律法を厳格に守ることで得られると解釈しました。

それに対してイエスは、律法は確かに良いものではあるが、人を束縛する律法主義、口伝律法は否定します。イエスは決して旧約聖書(タナハ)の内容を否定したわけではありません。批判したのは律法主義、口伝律法です。

それらは聖書の教えを正しく伝えていないとイエスは考えます。形式的に律法を守るのではなく、その律法を行う心の中に問題があるとしたわけです。

ユダヤ教徒は律法を守らなければ神は救わないと解釈していますが、イエスは、全知全能の神様はいい人も罪人も無条件で愛してくれると解釈します。

「父は悪人にも善人にも太陽を登らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(マタイの福音書5章45節途中から)

神は愛である。神はあなたを愛しているからあなたを作った。だからあなたは神様に作られた時点で救われているんですよ、ということを伝えました。ではどうすれば人間は救われるのか、ということに関してイエスは2つのことを伝えています。

 

1、神を信仰すること

2、他人を愛すること、すなわち隣人愛の実践

 

この2つによって救いが得られると説きました。

あるとき「律法の中で最も重要な教えは何か」と問われたイエスは答えます。

 

<イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい(※申命記6章5節)』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい(※レビ記19章18節)』」>(マタイ22章37節~39節)(※は筆者注として)

 

ユダヤ人しか救われないとか、貧しい人や卑しいとされている仕事をしている人たちは救われないとか、そういった限定的なことではなく、神を愛する者は全て救われる、そして神への愛の表現として、他人のことを愛しなさいと伝えているわけです。ではどのようにして隣人愛を実践するのか。

 

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイ7章12節)

 

さらにイエスの教えの深いところは、隣人愛の対象を敵対する者にまで広げたことです。

 

「敵を愛し、あなた方を憎む者に親切にしなさい。悪口を言うものに祝福を祈り、あなたがたを侮辱するもののために祈りなさい」(ルカの福音書6章27、28)

 

このように「救い」の捉え方が律法学者とイエスでは根本的に違っていました。

神に対する愛と隣人愛を土台としたイエスの教えは、厳しい戒律を守れずに、自分は救われないのだと絶望していた多くの貧しい人たち、病める人たち、罪人や蔑まれた人たちに希望を与えたことでしょう。

 

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【教養としての宗教学8】イエスの教え

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