〇日本人がイメージする仏教
釈迦が悟ったこととは何だったのか、ということを見る前に、ここで一旦我々日本人が抱いている仏教のイメージと学術的な仏教について確認しておきましょう。
というのは、後々のシリーズにはなりますが、日々のお悩みの解決のヒントを探している方に向けて、このブログではその手段として仏教の論理的・合理的な教えの部分と西洋の心理療法を掛け合わせた思考法を提示したいと考えているからです。
管理人しつちよは、仏教とは「宗教」ではなく非常に論理的な「哲学」「処世術」だと捉えており、フロイトをはじめとする心理療法等と組み合わせて実践すれば人生にとって非常に有益だと考えています。ところが仏教というとわれわれ日本人はやれ地獄や極楽だ、やれ生まれ変わりだ、やれ仏だと、摩訶不思議な世界観をイメージしてしまわないでしょうか。
これではせっかく釈迦が多くの知恵を残してくれているにも関わらず、そもそも宗教くさく、胡散くさく感じて話を聞く気にもなれないよ、となってしまわないでしょうか。
そこで今回、改めて仏教の構成要素を確認しておきたいと思います。
元大学教授でありサングラハ教育・心理研究所の岡野守也氏によると、仏教には以下の4つの構成要素があるとされています。
「原始的な呪術の要素、古代的な神話の要素、さらにひじょうに合理的・哲学的のある考え方と、それを含みながらそれを超える覚りと論理の方法(「霊性」と呼ぶことにします)」(「唯識と論理療法 仏教と心理療法・その統合と実践」佼成出版社)
簡単にいうと以下のような解釈ができる、ということです。
1、呪術の要素
鎮護国家の思想の元、大仏を建立したりお寺を建てたり、真言やお経で病気を治したり敵を呪詛したりすること。
2、神話の要素
地獄や極楽、六道輪廻、あの世、お盆などの現代人の感覚からすると不思議な世界観。
3、合理的・哲学的要素
「人生の苦しみ」から解放されるような人生観、論理的な思考。
4、覚りと論理の方法
3を実践するための行動(いわゆる修行)
われわれ日本人はどうしても仏教というと1、2のイメージで捉えていないでしょうか。小学生のころから近代科学を勉強している我々にとってこういった話というのは、聞くに値しない「迷信」と捉えてしまいます。
1、呪術の要素
そもそも日本に仏教が入ってきたのは西暦500年くらい。(高校生はテストや受験対策として538年説と552年説があることを確認しておきましょう。急に本業の塾屋のモードに入ってしまいました(笑))
その当時すでに仏教は鎮護国家(仏教の力で国を守るという考え方)や病気を治すための呪術的側面及び先祖崇拝の側面(お盆の考え方につながります)を持っていましたので、そのような宗教として当時の人々(天皇や聖徳太子などの支配者層)は受け入れました。もっとも聖徳太子は法華経、維摩経、勝鬘経の解説書である三経義疏(さんきょうぎしょ)を記しているところから釈迦の教えを理解していたと思われますが、当時の人々に分かりやすく受け入れられるために呪術的な側面を強調したのだと考えられます。
それまで日本にあった考え方はあらゆるものに魂や命が宿るとされるアニミズム文化と、人間を超えた力を崇めたり宥めたりする神道的な考えでした。
さらに中国から儒教的な考え方も伝わっていたため、聖徳太子は神道と仏教と儒教を習合させたような考え方で国を運営することになります。それは有名な「十七条の憲法」にも表れており、第一条「和を以て貴しとなし(神道的)」、第二条「篤く三法(仏・法・僧)をうやまえ(仏教的)」、第三条「詔を承りては必ず謹め(儒教的)」となっています。
さらに時代が下って奈良時代、聖武天皇が有名な奈良の大仏(東大寺)を建立する詔(みことのり=命令)を出します。廬舎那仏の力によって国と国民の安全と繁栄を祈願する鎮護国家思想の極みといえるでしょう。
平安京を起こした桓武天皇はその地位を得るために多くの親族を陥れ、怨霊に怯えて呪術的な発想で都を遷都しています。加持祈祷で病気を治したり敵を呪詛したりすることが期待され、真言密教が高貴な身分の方々に受け入れられました。
2、神話の要素
学問ができてお金もある平安貴族の間では寺院や仏像を作ることが善業となり死後浄土(良い世界)に行けるという浄土思想が広まります。
しかし貧しい庶民は学問をすることも寺院や仏像を作ることもできません。そこで空也などの浄土思想の僧たちは庶民に分かりやすく仏教を伝えるために極楽や地獄、輪廻(生まれ変わり)などの神話的な話を伝え、救済の方法論としてただ念仏を唱えるだけで極楽浄土に行けると伝えました。
庶民に分かりやすい簡単な教えが広まったのが鎌倉時代で、救済の手段として念仏を唱えることを伝えたのが法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(踊念仏)で、お題目を唱えることを伝えたのが日蓮(日蓮宗)、禅による救済を伝えたのが栄西(臨済宗)と道元(曹洞宗)でした。
室町時代、安土桃山時代とこの流れが続き、江戸時代には寺請制度が始まり日本人であればどこかの仏教宗派に属することとなりました。江戸時代には宗派間の論争は禁止されていたので宗派の勢力も固定化されます。その中で共通の教えであったのが極楽や地獄、六道輪廻などの神話的な話です。いいことをしたら極楽へ、悪いことをしたら地獄や餓鬼界へ生まれ変わるから、善い行いをして悪い行いを控えましょう、先祖を大事にしましょう(これは儒教的ですが)、といったことが日本人の共通認識として受け入れられていったのです。宗派は違えど同じ世界観を共有できていたということが、江戸時代約300年の安定につながっていたということも考えられそうです。またこの時代の仏教に関する知識や考え方が今でも根強く日本人に残っているのかもしれません。
3、合理的・哲学的要素
4、覚りと論理の方法
明治維新をきっかけに西洋の合理的な考え方が入ってきます。その中で学問、歴史学として研究された仏教の考え方が日本にももたらされます。やがて近代的な仏教学が学問の世界では主流になっていき、神話的な仏教の側面は影を潜め始めました。しかしそこは学者先生の話であり、我々一般庶民には「仏教=呪術的、神話的要素が強い、いわゆる「宗教」」という考えが残っています。
では、次回は仏教の「合理的・哲学的要素」について、釈迦の悟ったとことをなぞりながら見ていきましょう。


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