【小説・サクラサクまで7】勉強って将来役に立ちますか?

小説・サクラサクまで

学習塾を始めた福永だが、子どものモチベーションを保つのは難しい。中には勉強が嫌で嫌でたまらない生徒も出てくる。

こんなの勉強して将来何の役に立つんだよ

こういう質問に福永はいちいち付き合わない。たいていは勉強が面倒くさくて逃げたいだけの発言で、大して本気で勉強の意味を知りたいと思っているわけではないからだ。それでも何か話を求められると福永は仕方なくビジネスマン時代の話を持ち出す。もちろん押し付けるようなことは言わず、

「実際には社会に出てみないと分からないことかもしれないけどさ、一つの考えとして聞いてくれや」

と前置きをしてから話し始める。

マーケティング会社では毎日のように数字を扱っていた。データを読み解き数々の予測を立てるために中学生1年生の「資料の整理」、中学2年生の「確率」や「四分位数」、中学3年生の「標本調査」、高校の統計や確率が分かっていないと仕事にならない。またビッグデータを加工して、以下のような「ベン図」を前に議論することもある。これは中学受験生もしくは高校1年生が習うものである。

例えば企業広告の方法を考えるとき、使用デバイスの調査でスマホユーザーとPCユーザー、テレビユーザーそれぞれの親和性を調べ、最適な広告の打ち方を検討していく。

例えばスマホユーザーとテレビユーザーの親和性が高く(スマホを見ている人とテレビを見ている人が被っている範囲が広い)、PCユーザーとテレビユーザーの親和性が低い(PCを見ている人とテレビを見ている人が被っている範囲が狭い)場合を考えてみる。

より多くの人に認知をさせたい場合はPCとテレビに広告を打ちましょう、何度も広告を表示させて刷り込ませたい場合はスマホとテレビに広告を打ちましょう、というような提案を行う。もちろんこれはあくまでも簡単な使用例で、実際にはもっと複雑な統計学が用いられているが、簡略化して生徒に説明する。

「他にも仕事の進捗率や価格決定の際には小学5年生で習う「割合」の知識が必要だし、買い物をする時には同じく小5で習う「平均・単位量あたり」を知っておくと損をしないぞ」

こういう話をすると子どもたちは少しこちらを向いてくれる。

「文系の科目だってそうさ。俺は昔外資系の会社にいたけど、みんな外国人とコミュニケーションを取るときに気にしていたのは「日本(自国)のことをどれだけ話せるか」ということだったよ」

「ただ単に英語ができるだけではダメ、自分のことや自分の国のことを話せない人は尊敬されない

ということを営業部長はよく言っていた。

それに外国人上司との会話はとにかく教養が求められた。

日本では知識としてしか学ばない哲学や思想なども頻繁に話題に出され、世の中の事象や人生に対して話す文系大学のゼミのようだった。

「インターネットの普及はまるでヘーゲル弁証法の「事物の螺旋的発展」のそれを証明しているようじゃないか」

フランクルの「夜と霧」にも書いてあったが、アウシュビッツのような絶望的な環境でもユーモアを持つことが、人間にはできるんだね」

「結局のところ聖書を根拠としている我々(アメリカ人)にとって労働は罰であるが、古事記によると日本の天照大神は機織りをしてたというから、日本では神自らが労働していることになる。ここに二国のリーダー観の違いがあるんじゃないか?」

「グローバル化=英語、という意識があると思うが、自分の国の歴史や文化を習得すること、またそのための読書、それに伴う漢字や語彙力など、まずは日本語の勉強をすることも、グローバル化への道なのかもしれないね。よく「文学部は役に立たない」というような論調があるけど、文学っていうのは想像の世界、つまり人間に対する考察なわけだ。人間を知ろうというその学問に、意味がないとは思えないね」

福永は少年少女相手に持論を展開する。

「確かにAIやIOTなどの技術を作る理系は大切。Chat GPTが示すように、世の中はどんどん便利になっていくだろう。だけどAIの利用方法は現状はあくまでも「アイデア出し」であり、人間に問われるのはそのアイデアをどう取捨選択するかの「編集」のスキルなんだ。

そのためには、自分自身の頭の中にそれなりの知識や論理的思考がなければ、何が正しい情報で何が間違っているかを判断できなくて滅茶苦茶な結論になってしまう可能性があるよ。俺もいくつかの文学作品のあらすじをChat GPTにたずねてみたけど、中にはまったく内容が異なるものもあった。君ら(中3)が教科書でやった森鴎外の「高瀬舟」が恋愛小説になっていたり、「走れメロス」ではメロスが友人の身代わりになっていたり・・・。知識がないままChat GPTが示すあらすじを信じる恐ろしさを実感したよ」

「高瀬舟」が恋愛小説と聞いて何人かの中3生が笑った。

「まあ、結論として、何事も学んだことに無駄なことはない、ということかな。フッサールっていう哲学者は「エポケー(判断の保留)」って言葉を使っているよ。自分の持っている情報以上のものが現れたときに、自分の経験や知識だけで判断するんじゃなくて「いったん受け止めてみる」ってこと。将来勉強が役に立つか経たないかなんて、将来になってみないと分からないじゃない? でも、少なくとも勉強しておいてよかったと思うことを俺は経験してきたからそれを君たちに伝える。受験勉強は大変かもしれないけど、まあひとつ頑張ってみてくださいよ。それじゃ、今日はこの辺でお開きといきましょうか」

おどけて締めくくり、今日も授業が雑談でつぶれた。

それでも生徒たちは喜んで帰っていった。

でもなあ、と福永は思う。これで成績がちゃんと上がらないと大クレームだろうなあ・・・。

生徒が帰った夜の教室で一人反省するのが福永の日課であった。

 

<続く>

次回は10月11日更新予定です!

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