「本当に女子大生が塾長やってるんだ」
初めて「旬学舎」に面談に訪れる生徒や保護者は吉祥寺妙恵から受け取った名刺を凝視してそう思う。
19歳の少女が塾長(塾の長、つまり社長)として君臨していることはホームページやチラシでも公開しているので問い合わせた相手はそれなりに覚悟をもって来てくれる。が、実際に目の当たりにすると好奇心と同時に一抹の不安もよぎるらしい。当然ではある。
「旬学舎」の面談ブースは入ると左端に正方形の机が設置され、手前に椅子が二つ、右隣に椅子が2つある。初めて塾の説明を聞きに来る生徒、保護者が手前の椅子に、教室長である福永英二と塾長の吉祥寺妙恵が右隣の椅子に腰掛ける。人は正面を向き合うと緊張するといわれているが、こうすることで少しでも子どもや保護者にリラックスしてもらおうという妙恵の配慮であった。
少し時を戻して、2023年10月初旬。
まだ福永英二塾長と吉祥寺妙恵講師だったころ。
福永の「旬学舎」塾長就任後最初の問い合わせが公立中学3年生の鈴木一郎であった。ハードなサッカー部を引退した7月から受験勉強に取り組んでいるがなかなか成績が伸びないという不安を抱え、10月の1週目に「旬学舎」を訪れた。福永の腹は初めから決まっている。「入塾お断り」だ。東京都の高校受験まであと5カ月しかない。下手に入会させて不合格になってもらっては目覚めが悪い。新人講師妙恵ともその旨は話し合っていた。
鈴木親子が椅子の前に立ったタイミングで福永が母親に名刺を差し出す。
「本日はお忙しい中お越しいただきありがとうございます。塾長の福永と申します」
それに続いて妙恵も母親に名刺を差し出す。
「よろしくお願いいたします、教務主任兼講師の吉祥寺と申します」
吉祥寺妙恵は少しヒールの高い靴を履くと身長が170センチに若干届かない福永と同じくらいになる。痩せているので余計背が高く見える。ロングの黒髪にレイヤーを入れており、整った眉、上向いたまつ毛と淡いチークは韓国風のヘアスタイルやメイクをイメージしているのか、要するにおしゃれに気を遣うごく普通の大学生に見える。こんな若い娘が面談の最前線に立つことが不思議だというように鈴木母は妙恵を凝視していた。
一通りのあいさつが終わったところで本題に入った。
「成績が伸びないというのは具体的にどういったことでしょうか」
福永は聞いた。方針は決まっている。可哀そうだがこれまで勉強を放置し部活動を優先した報いは受けるべきだ。
「模試の結果が悪くて・・・」
本題に入った途端母が目を伏せ、ぼそぼそとつぶやく。
「では、拝見いたします」
出されたのは高校受験生が受ける「V模擬」といわれる模試の9月の結果。
用紙はA3で2枚。横長にして見るそれは1枚目の表面に模試の点数、偏差値、志望校に対する合格判定などが、裏面には国数英社理の各問題の正答率と生徒自身の正誤一覧、2枚目表面には生徒自身の国数英の答案の、裏面には社会と理科の生徒自身の答案が記載されている。


(進学研究会HPより)
第一志望校は都立杉並高校で合格可能性はEだった。
V模擬の合格可能性は6段階あり、
Sが90%以上(余裕を持って合格)
Aが80%以上(安全圏)
Bが60%以上(合格圏)
Cが40%以上(合格射程圏)
Dが20%以上(努力が必要です)
Eが19%以下(かなりの努力月必要です)
となっている。
つまり、鈴木一郎君が都立杉並高校に合格できる可能性は19%以下。要志望校検討だ。
次に得点と偏差値を確認する。
国語55点、偏差値47
数学35点、偏差値41
英語38点、偏差値41
社会35点、偏差値41
理科36点、偏差値43
5科199点、偏差値42
「う~ん」
福永はあえて眉間にしわを寄せて面談ブースの雰囲気を悪くしようと努めた。
次に1学期の通知表の数値を確認する。
5段階評価で表されるもので、体育が4であとは3。
「お母様はこちらの結果をご覧になってどこに不安を感じたのですか?」
福永が聞いた。
母親は相変わらず沈んだ声で答える。
「こんな点数や偏差値で、本当に高校に受かるのかなと思いまして」
「そうですか」
そりゃそうだよな、と福永は思った。この時点でE判定じゃ望みは薄いだろう。早々に暇乞いを願いたいものだ。そんなことを考えてしばらく沈黙が続いてしまったのを妙恵が拾った。
「では模試でどういった結果が出たら安心できたのでしょう?」
「それは・・・」
母親の目が泳いだ。おそらく漠然とした不安なのだろうということが分かった。母親の心理としては常に合格圏に届いていないと不安になるのであろうが、ことはそう簡単ではないぞ、と福永は思った。またいい言葉が浮かばないでいると妙恵が続けた。
「お母様、ご安心ください。まず模試の役割ですが、私は2つあると思っています」
静かな口調ではあるが妙恵の声は不思議と聞いている者を励ます力があった。
「一つは定着していないところを炙り出すことによって復習すべき箇所を明確にすること。もう一つは未知の問題を解こうとすることにより入試本番で戦える思考力や解答力を磨くこと。受験直前期は解答力を上げることを重視するので結果にこだわりますが、11月頃の模試までは前者を重視したほうがいいでしょう。なぜならまだ知識が定着していないからです。学校で教わっていない単元もまだあるかもしれない。勉強していない範囲を出されても答えられないのは当然です。今の時期(中3の10月頃)に大事なのは知識の漏れを確認し、それを復習して定着させること、そのために模試の解き直しをしっかり行うこと。一郎君、解き直しのやり方はあとで教えるね」
ここで一呼吸置いて妙恵は続けた。
「そもそも模試の見方をご説明します。まず偏差値ですが、これは平均点と同じであれば50と出てきます。つまり今回一郎君は5教科すべてにおいて平均を下回ったということです」
母親が体を固くするのが分かった。妙恵はすかさず包み込むような笑顔を母親に向け続ける。
「ただ大事なのは今後の模試で偏差値がどう推移していくかということです。1回の模試で総合力を判断することはできません。こちらの「成績の推移」というところを今後注目していく必要があります。

(進学研究会HPより)
ちなみに上の「偏差値から見た都立入試での予想得点」が模試結果より高めに出ています。V模擬は実際の入試問題よりも難しく作られているので、ここの数字は「今回の模試でここまで取れたら本番ではこのくらい取れるだろう」という予測の点数です。一郎君の数字は253点となっていますので、このままいけば本番では今回の点数より50点程高く取れるだろう、という予測です」
「じゃあ、今回の判定はその補正された数値から出されたものということですか。実際の点数より高く出たその点数。それでもE判定ということは、やはり厳しい結果ということですか」
母親が絶望的な眼差しを妙恵に向けた。初めて聞いた、という表情を見ていると、「旬学舎」に来る前にもいくつか塾を見たと言っていたが他塾ではこういった説明はされなかったのかもしれない。
「そういうことになりますが、まだあきらめる必要はありません」
妙恵は母をまっすぐ見つめ言い切った。
福永は冷や冷やしながらこの対話を聞いていた。この時期に問い合わせに来た中3は責任持てないから断ろう、という打ち合わせはしていたはずだが・・・。妙恵の考えは分かる。ここまで落ち込んでいる母親や生徒を目の前にして、何か力になりたいと思ってしまったのだろう。こうなると福永は黙るしかない。本当に、そういう正義感の強いところは君のお母さんにそっくりだよ・・・、と、福永は一瞬甘い痛みが胸をよぎるのを感じた。
「その前に、今回どうしてこういう点数になってしまったのかを確認したいのですが、一郎君、部活を引退してからどういう勉強していたんだろうか。塾には行ったの?」
妙恵は一郎に尋ねた。
「はい、集団塾の夏期講習に参加しました」
以下、内容を要約するとこのような感じだ。
塾の夏期講習では1、2年生の総復習を5教科行った。授業を受けた感想は「そういえばそんなこと昔やったなあ」という程度。つまりかろうじて記憶を手繰り寄せた程度だ。塾の授業の理解度は5割くらいだったという。塾から帰っても授業の復習はせず、YouTubeを見たり漫画を読んだりして過ごしていた。要するに、受験生にもかかわらず圧倒的に勉強時間が足りていない姿が浮き彫りになった。貴重な受験生の夏を無駄にしてしまったようだ。
「ちなみにお母さん、その塾は9月以降継続して通っていないんですか」
今度は福永が母親に尋ねた。
「はい」
「それはなぜ?」
「覚えていないところが多すぎて、授業受けてても分からなかったんだよ」
一郎がぶっきらぼうに答える。
「塾の授業の理解度は5割くらいって言ってたもんな。復習もしていないし」
「はい・・・」
「それで受験対策なんかやられてもついていけないもんな」
「はい・・・」
ちょっと意地悪な言い方してるな、と自分でも感じつつ、福永は母親に向き直った。
「ではなぜうちのような集団形式の塾を? この状況でしたら個別指導塾や家庭教師のほうが合っていると思いますが」
「あの、個別とか家庭教師は少々、お値段が・・・」
母親が言いにくそうに口ごもる。
「おたくにお話を伺う前にもいくつか個別塾を見たんですが、どこも、今からだったら週5~7回は通わないと責任持てないと言われまして・・・」
まあ、そうだろうな、と福永は思った。
「おたくは集団授業のほかに自習サービスがあると聞きまして」
「質問対応プランのことでしょうか。あれは2つのコースがありまして。通常の集団授業にプラスして自習室を使うだけの月額5,000円のコースと、自習室利用と講師への質問し放題の月額5万円コースがございます」
断りポイントはここかな、と福永は思った。ここまで出遅れて、勉強もしていない生徒に自習室を使うだけの5,000円コースは意味がない。大学生講師に質問し放題の5万円コースの方がまだ成績が上がる可能性がある。だが、月5万円のプラスである。通常の集団授業料金を含めると月額9万円近くになる。「そんなに払えません」と相手が断ってくれるのを期待しようと福永は考えた。
「これまでのお話を伺っていると、一郎君は5万円コースの質問し放題でなければ成績は上がらないと思います。料金を気にされているようであればまだ個別指導さんで見てもらったほうがお安く済むと思いますが」
「・・・」
ちょっと露骨だったかな、と福永は思った。が、できない約束はするものではない。
しかし、妙恵がまたしても口を挟んできた。まっすぐに親子に向き合って言った。
「システムの話の前に、一郎君の受験に向けての作戦会議をもう少しやってみましょう。私は、一郎君が杉並高校に合格するのは不可能ではないと思いますよ」
<続く>
次回は10月14日更新予定です。


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