10分間の休憩をはさみ、妙恵は再び話し始めた。
「それでは、「その他受験に関しての留意点」をお話しします。私の方からは志望校の選び方についてお話ししようと思います。志望校が確定しているわけじゃない生徒さんも多くいると思いますので」
保護者が頷き、メモを構える。
「まず、お聞きしたいことがあります。「高校に行くのは誰ですか?」」
一瞬教室が静まり返る。
「まだ20年しか生きていない私が言うのも生意気かもしれませんが、長い人生において高校入試は「通過点」に過ぎないと思います。でも、義務教育を終えて自分の人生を自分で選択していくことの第一歩と言える大事な行事だと思います。ぜひ悔いのないようにやり切ってほしいと思います。私の経歴はホームページに載せていますのでご存じの方も多いと思いますが、私は途中から高校に行けなくなってしまいましたが、本当に楽しく充実した高校生活を送れたと思います。あの高校だから知り合えた友人もいました。多くのことを学べました。あの日々に悔いはないです。それはひとえに、自分が「納得した受験」ができたからだと思います。皆さんも、納得できる受験をしてください。なので、まずは自分がどんな高校生活を送れたら嬉しいのかを考えてほしいんです。そしてそれが実現できそうな高校を考えてみてください」
ここから妙恵は生徒たち一人ひとりと目を合わせながら話し始めた。
「部活の充実、高校の偏差値とか進学率、通学時間、高校周辺の街並み、制服、とかいろいろ。そして、その理想を実現できそうな高校の中から偏差値順に3~5校ピックアップしてほしいの。つまりどういうことかというと、高校を偏差値だけで選ばなくていいよってこと。もちろん上を目指すのは構わない。上を目指してほしい。でも、大事なのは思い描いた学校生活ができそうな高校であるかということ。偏差値だけで選んでいると、いざ受験間際になって内申が上がらなかったり実力が伸び悩んだりした時に下の高校を選ぶことになるでしょ。そうすると単純に志望校を「下げた」っていう気持ちになるじゃない。テンションも下がっちゃうよね。でも、あらかじめ選んでおいた中から選択したとしたら、ただ「選んだ」ってなるだけ。嫌な話だけど、2学期期末テストを五体満足で受けられる保証はないの。私の友達はテスト直前に利き手を骨折して思うように答案書けなくて大事な2学期の成績を1つ下げちゃったの。それでもその子はあらかじめ選んでおいた中から、目指していた高校の偏差値的には一つ下の高校を受験したんだけど、「ただこっちを選んだだけ」って言って納得して受験していったわ。みんなにもこの感覚を持っておいてほしい」
各々家庭の教育方針もあるだろうから、一概に賛同は得られていないかもしれない。しかし妙恵は常々人生には「賛否両論」あるのが正解だと思っているので堂々と持論を語っていった。
「それから、併願校の見学もしておいてほしいかな。「都立が残念な結果になってもここなら行きたい!」と思える高校があるといいよね。これも友達の話だけど、併願校もいい学校だったから正直都立は挑戦校だったけど、ダメだったら併願校でも充実した高校生活送れると思ったから志望校を下げずに頑張ったって言ってた。逆の子もいたよ。どこの私立もしっくりこなかったから絶対に都立に行こうと思ったんだって。だとしたら安全校を受験しようと考えて当初の目標より偏差値的には下の高校を「選んだ」んだ。
つまり何が言いたいかというと、「選択肢を増やす」ってこと。そのために、偏差値だけでない高校選びと学校見学をお勧めします。私からは以上です」
拍手が鳴り、福永が前に出た。
「本日はお忙しい中ご足労頂きありがとうございました。最後に、私から一つお話させていただきます。先ほど受験までのスケジュールで12月の学校三者面談の話が出たと思います。おそらくそこでは厳しいことを言われる生徒さんもいらっしゃるかもしれません。具体的には、今の成績で「ほぼ安全に行ける高校」をお勧めされます。口調のきつい先生は「ここしか行ける高校はない」というような言い方をされる方もいらっしゃると聞きます。これは決して学校の先生が悪いわけでありません。先生方も真剣に生徒さんのことを考えて、良かれと思っておっしゃっているのだと思います。先生方は「今の成績で」行ける高校を案内します。しかし、私は思います。本当に行きたい高校があり、そのための努力も伴っているのであれば、ぜひチャレンジしてほしいと。真剣に取り組んでいるなら学力は最後の最後まで上がることを信じてください。そして保護者の皆様も、最後まで見守ってあげてください。「今の実力では無理」、「落ちたら可哀想」という思いは捨てて、応援してあげていただきたいのです。「合格発表の日」はゴールではなくスタートです。その日一日を安心して過ごしたいがために目標を下げないでください。その日一日は悔しい思いをするかもしれないが、子どもたちは第一志望に挑戦させてくれた親御さんに感謝するはずです。「次は期待に応えよう!」と自ら奮起して大学受験に向けて走り出すはずです。逆に、志望校を下げさせて安全校を受けさせたとしたら、お子様には蟠りが残ります。「受けたいところを受けさせてくれなかった」、「私を信じてくれなかった」という思いが残り続けるでしょう。
私はこれまで12年、マーケティング会社で働いてきました。数字で物を語ることの重要性はよ~く理解しています。しかし子どもの可能性は数字では判断できません。信じられない偏差値の伸びを見せた子どもたちを昨年目の当たりにしました。本当に行きたい高校があり、努力が伴っているのなら、最後までチャレンジさせてあげてください。
そして結果にかかわらずお子様の努力を褒めてあげられるのは親御さんだけです。学校や我々塾は「実績」を求めます。友人や親戚も「結果」でお子様を判断するかもしれない。実績や結果を求めることは否定しないし、15歳のこの時期に真剣に自分の学力と向き合うことは今後の人生において大きな財産となると確信しています。厳しいことを言うようですが、はっきりと勝ち負けがつく経験をすることは生きていくためには必要なことだと考えています。結果に打ちのめされてしまうこともあるかもしれない。しかしその過程で人は必ず成長する。私は塾の人間ですが、はっきり言います。「受験に成功は約束されていない。ただし、成長は約束されている」。そして闘いが終わった後、その子の努力や過程を認めることができるのは親御さんだけです。ぜひ、ご自分のお子様の受験を、結果に関わらず褒めてあげてください。
私も長いことビジネスパーソンとして走り続けてきましたが、我々が評価されるのは自分に何が「ある」のか、「何ができるのか」といった、いわゆる「付加価値」です。学歴、職歴、スキル、資格、役職、年収・・・。社会も、会社も、学校も、「付加価値」で人を評価する場所。その競争社会で生きる術を身に付けることは大事だと思いますし、それを養うための勉強や受験だとも考えています。
しかし、人間にはもう一つ大事な「価値」があります。「存在価値」です。何もなくても、何も生み出さなくても、ただ存在しているだけで癒しや勇気を与えてくれる存在。皆さんはすでに、お子様の存在価値に気づいているはずだ。
気の遠くなるような苦しみの後に生まれてきた我が子に、「生まれてきてくれてありがとう」と言ったあの瞬間の気持ち、覚えていらっしゃるはずだ。受験、スポーツの試合、芸術の発表・・・、そんな「競争」が終わったとき、結果に関わらずその子の頑張りを褒めて、認めて差し上げることができるのは、親だけ。数字や進路については学校や塾でさんざん厳しいことを言われていると思います。厳しいことを言います。ですからどうぞ、親御さんは温かい目でお子様を見守ってあげてください。よろしくお願いします」
つい熱が入って語ってしまったのは、もしかしたら受験の時に福永が親にしてほしい態度だったからなのかもしれない。
父が兄や福永を褒めるときは勉強が「できたとき」、スポーツが「できたとき」、難関大学に「合格したとき」だった。ついでにいうと兄は国立大学に進んだが福永は無名の三流私立大学にしか受からなかった。その時の冷ややかな父の視線が忘れられなかった。父はそこまで意識していなかったのかもしれないが、「条件付き」の愛情を注がれて育ったと福永は思っていた。そのことに気づいたのは社会に出てからだ。やたら周りからの評価が気になる自分に嫌気がさして心理学を学んでいくうちによく似た事例がたくさん出てきた。無条件に存在を愛することができるのは親ぐらいなのにな、と過去を思い返してひどく落ち込んだことがあった。
福永の言葉で会はお開きとなり、質問や我が子の進捗状況を聞きたい保護者達と妙恵たちの個別での話し合いがしばらく続いた。
<続く>
次回は11月2日の更新を予定しております。
11月より土曜日と平日1日の週2回更新を予定しております。
ここまでありがとうございました。今後もよろしくお願いします。


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