<前回までのあらすじ>
高校1年生の高井戸 裕香(たかいど ゆうか)は立ち寄ったスーパーで同じテニス部員の池ノ上 範子(いけのうえ のりこ)が働いていることを知る。誰に対しても笑顔で接し、波風を立てない範子だが、部活エンジョイ勢の中でも最も参加率が低いのが彼女であった。自分の進路とともに、1年生のリーダーとして部の運営を担う裕香にとって、いつかは話さなければならない相手であった。
そんな中、裕香は自分の進路について福永について相談すべく土曜日の授業後に居残っていた。
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土曜日、妙恵塾長の講演が終わった旬学舎の面談ブースに福永教室長と妙恵塾長、二人に90度向き合う形で裕香が座っていた。真正面で向き合うと緊張してしまうだろうという妙恵の配慮から、面談ブースでは90度で向き合っている。
「で、この進路希望調査の提出が?」
福永が裕香から差し出された用紙を見ながら聞いた。
「来週の月曜日」
「急ぎか・・・。まあ、選択科目は決まっているからな」
「とりあえず選択肢を広く持てるように、とは思って。ただ、学部とか、将来の夢とか、まったく分かんないんですよね~」
裕香は机に突っ伏しておどけて言った。普段頼りにされているテニス部のミーティングなどではとても見せられない姿である。この二人には弱さを見せられた。
「なんかさあ~」
裕香は頬杖を突きながら福永を見つめる。
「そもそもなんで勉強してるのかなって、最近よく思っちゃうんだよね」
「またそういう・・・。難しいことオジサンに聞くなって」
「フッチーは高校の時悩まなかったの?」
「悩んだよ。そして悩んだ挙句勉強しなかったからFラン大学にしか行けなかったんじゃない。そして今は教室長とスーパーの店員の二束草鞋でようやく食べられているわけだ。オジサンみたいな苦労したくなかったらちゃんと勉強しろよ」
(話半分に聞いておこう)と裕香は思う。福永がFラン大学出身なのは本当らしいけれど、それで自分の人生を悲観しているようには見えない。生活が苦しいならこんなに毎日元気でいられるはずがない。もっとも、大人になるとそういった苦労を人に見せないように気遣えるようになるのだろうか。
「苦労って、いい大学に行かないと就職先がないってこと?」
裕香は頬杖を突きながら聞いた。
「まあ、それはあるよ。勉強頑張ったってことは忍耐力とか自分を律する力があると思われるだろうからね。新卒の学歴フィルターは少なからずあるだろう。ただ、社会に出た後は出身大学なんて関係ないから。逆にいつまでも学歴でマウント取るような奴はろくでもないよ。ま、国家公務員のキャリア組とか金融やマスコミ業界だと違うんだろうけど」
「じゃ、何のために大学に行くの?」
「勉強するためでしょ?」
「だから、何のために勉強するのよ」
裕香は口をとがらせる。福永は困ったように妙恵を見るが、妙恵は面白そうに笑っているだけで助けようとしない。仕方なく福永は頭をポリポリ搔きながらしばらく考えて、ためらいがちに口を開いた。
「その、なんていうのかな・・・。幸せになるため、じゃないのか?」
「幸せって何ですか?」
「自分の人生を自分で決めるってことよ」
「自分で決める? 当り前じゃないの、そんなこと?」
「ところがさ、この頭の中に」
と言いながら福永は右の人差し指で自分の側頭部を指しながら言った。「知識とか思考力がしこたま入っていないと、自分で決める材料がないわけよ。自分で決めたと思ってもニュースとかネットで誰かが言った意見を自分の意見だと錯覚してしまったりするわけだ。ところが頭の中に知識があれば、勉強してきたことを思い出したり、筋道立てたりして自分で決めるってことができるんだと、オジサンは思うんだな」
「自分で、何を決めるの?」
「どうやったら充実した人生を歩めるかということ」
「どうやったら歩めるの?」
「生きていくためにはお金が必要だろ。そのためには働かなくちゃいけない。じゃあ、どんな仕事をしたら充実できるのか、それを考える。やっぱり、自分の好きなことや得意なことが誰かの役に立ったり楽しませたりすることで、その対価としてお金を稼ぎたいとは思わないかい?」
「思う。だとしたら自分も相手もうれしい」
「でしょ? じゃあ、そのためによ、自分は何が好きで何が得意なのか知らないといけないじゃない。そんなのは色々なことを勉強して、知って、体験して見つけていくしかないわけよ。まずはそれを見つけるために広く学ぶ。そして、「これだ!」と思ったやつを人のためになるくらい深く学ぶ。自分の好きなこと、得意なことを、知るために広く学ぶ、伸ばすために深く学ぶ。これが勉強する意味なんじゃないの?」
「でも、何度やっても好きになれないものとか、絶対自分には向かないだろうなっていうこともあるじゃない? それも、成績がついちゃうから一生懸命やっているけど、本当は苦手なこととか嫌いなことやってる時間ってもったいないなあって思ってる」
「そりゃそうだ。誰だって嫌いなことや苦手なことはあるでしょ。最終的には、それを克服しなくてもいいんじゃないの? 「ああ、自分はこれが嫌いだな、苦手だな」って知れただけでもいい経験よ」
「経験するだけで終わり? なんかもったいない~」
「でもさ、裕香氏が苦手だと思っていることを、さも簡単に、楽しそうにやっている人もいるでしょ?」
「いる」
「大事なのは、そういう人たちを素直にリスペクトするってことだと思うよ」
「リスペクト?」
「そう。自分はできないけど、苦手だけど、苦も無くやっているあの子すごいなあって。そうするとさ、自分が好きなこととか得意なことでお金を稼ぐようになった時に、自分の嫌いなこと、苦手なことをやってくれている人に気持ちよくお金を払えるじゃない。そうやってお互いがリスペクトし合って経済を回していけば、いい世の中になると、オジサンは思うぞ」
「ふ~ん」
何となく言わんとすることは分かった。「本当かウソか分からないけど、ちょっと前に「順位を付けるのはよくない」ってことで、運動会で途中まで競争して、途中からゴールまでは手をつないでゴールをして順位を付けないっていうのが話題になったけど、それ聞いて思ったのは、普段勉強ができなくてもスポーツ得意な子が活躍できる場がなくなっちゃうじゃない、ってこと。「競争」じゃなくて、「個性の発現」に焦点を当てるんだと思えばいいのにって。ちょっと違うかもだけど、好きを極めるとか苦手を認めるってそういうこと? 勉強が得意な子も、スポーツが得意な子も、それぞれ得意なもので勝負すればいい、っていうか」
「うん、まあ近いかもしれないね。お互いがお互いの良さを認めるってそういうことでしょ。そういう世の中になれば、他人と比べる必要がない人生をみんなが歩める世の中になると思うんよ。「職業に貴賎なし」の発想になって、学歴とか立場とかでマウントを取ったり逆にコンプレックスを感じたりすることもないと思うんだ。一人ひとりが、誰かのために自分のスキルを磨くことに集中できる世の中。真心だけで生きていい世の中。そうすりゃ今ニュースになっているような不幸な事件も少しは減ると思うけどな。ちょいと飛躍しすぎか?」
福永は少し笑った。裕香は首を振って答えた。
「いい考えだと思います」
「ま、何が好きか、何が嫌いか、何が得意か、何が苦手か。それは勉強してみないと分からないからさ。とりあえず好き嫌いせずなんでも勉強してみたら?」
裕香は頷いた。
「そのつもりで今まで頑張ってきたけど、もうちょっと続けてみます。でも、それで自分が何学部に興味あるかは、今はちょっと分からないな・・・。それに大学なんですけど、今の自分がどのくらいの実力なのかもわからないし。偏差値50って真ん中ですよね? それくらい行ければいいかな、とは思っているんですけど」
「「偏差値50が真ん中」か」
これまで黙って聞いていた妙恵が初めて口を開いた。
「偏差値50が真ん中って考えているみたいだけど、ちょっとそこは訂正しておいていいかしら」
「え、違うの?」
驚く裕香に、妙恵は紙とペンを取り出して何かを書き始めた。
<続く>


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