【友達ってナンだ?】オンラインゲームとアリストテレス – YouTube(4分42秒)
「友達」って、何なんでしょうね。
私なりの「友達」の定義は、
「辛い時に顔を思い出して、あいつもきっと頑張っているだろうから自分も頑張ろう、と思わせてくれる存在。」
です。
子どもたちが勉強してこない理由のほぼほぼ第1位、「友達とゲームしてました」。
今はオンラインでつながっているので、時間や場所の制約なく遊べる環境です。
「友達がオンライン上にいるから俺もゲームやめられない」という話をよく聞きます。
それに対して『しつちよ』は「そういう存在って本当に友達なの?」と素朴な疑問を投げかけて、子どもたちに嫌われます(苦笑)。
本当の友達なら、「俺たちヤバいからさすがに勉強しようか」と声かけあうものなんじゃないかなあと。
相手の幸せを本気で考えることができれば、お互いの成長を止めるような付き合い方はできないものではないのかなあと。
大人になった今では、毎日顔を合わせる友達というのは減っていきます。
それでも仕事でもプライベートでも辛いことがあった時に、「ああ、あいつもどこかで頑張っているはずだから、俺も頑張ろう!」と思える友が何人かいます。
その人たちとは深い「友情」で結ばれているなあと実感します。
さて、哲学者のアリストテレスはもっとスマートに友情というものを表現しています。
厳密には「親愛に値するもの」という表現ですが、「友」に置き換えてもいいでしょう。
アリストテレスは3種類の「親愛に値するもの」があると述べています。
①一緒にいると自分が成長できる友達(善きもの)
②一緒にいると心地の良い友達(快適なもの)
③一緒にいると利益をもたらす友達(有用なもの)
アリストテレスの言う1番目を、私は無意識に「友達」と呼んでいたんですね。
これは、夢とか目標というものが割と明確だった学生時代を歩んでいたからかもしれません。
同じ夢を持つ者との切磋琢磨、夢は違えども一生懸命に何かに打ち込む姿勢に対する共感と尊敬、そんなものを抱ける存在を「友」と呼んでいました。
もちろん、社会人になってからは2番目の存在も重要だったなあと気づきます。
特に学生時代、利害関係なく結ばれた間柄は大人になってからの宝物です。
もしかしたら友情というものの大半は、最初は2番目の存在からはじまるのかもしれません。
やがて彼・彼女の夢や目標に触れ、「応援したい」という気持ちと、「自分も頑張らねば」という気持ちが芽生えることで、1番目の関係に進化(深化)することもあるのかもしれません。
皆さんにとっての「友達」とは、どういう存在でしょうか。


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