西暦610年、40歳頃啓示を受けたムハンマドはこれまでのアラビア半島の宗教観に異を唱え始めます。
その前に、イスラーム以前のアラビア半島を確認しておきましょう。
ムハンマド以前の世界を「ジャーヒリーヤ(無知の時代)」といういい方をします。アニミズム信仰で、大多数が多神教でした。その中には少数ではありますがユダヤ教徒、キリスト教徒もいました。
すでにメッカのカーバ神殿は聖地巡礼の中心地ということで、商売も情報も活気のあった都市だったと想像できます。
〇イスラーム以降のアラビア半島がどう変わったか。
まず、アブラハム信仰への回帰ということですから、多神教の否定と偶像崇拝の禁止を掲げます。そして血縁関係だけでなく、イスラム教への信仰という共通理念によって結びついた共同体、「ウンマ」というものを形成します。
イエスに関しては「偉大な預言者の一人」、と定義づけています。イエスだけでなく、最初の人間であるアダムや洪水で有名なノア、アブラハムやモーセも偉大な預言者と認めています。ただしあくまでも神の言葉を預かる者ということで、キリスト教の言う「イエスは神の子」という考え方は否定しており、したがってキリスト教の「三位一体論」は否定しています。イエスは十字架にかかって死んだのではなく、普通に死んで、世の終わりに再び降臨すると考えられています。イエスへの敬意は非常に強いものがあり、さらにイエスを産んだ母マリアに対しても「根源的な母性」ということで賞賛をしています。
さらに旧約聖書、新約聖書も聖典であると認めていますので、ユダヤ教徒、キリスト教徒は、自分たちより先に神の啓示をもらっていた「経典の民」として認めています。
〇イスラム教の胎動と迫害
神からの啓示を受けてイスラム教を興したムハンマドはそれまでにアラビア半島にあった偶像崇拝や多神教を否定していきます。また富の公平な分配、貧者の救済、商業独占の禁止などを訴えています。
そのため、当時アラビア半島を支配していた強力なクライシュ族という部族に睨まれて迫害を受けてしまいます。ついに622年7月、ムハンマドはメッカを離れ、ヤスリブというところに移住します。この移住のことを「ヒジュラ」といいます。
ここを新天地としてイスラームの教えを守る共同体、ウンマを形成していったのです。ヤスリブはその後、「メディナ」と呼ばれるようになりました。イスラム教が一つの宗教として形を持ち始めたのはこのメディナでの期間だと言われています。
支配階級であったユダヤ教徒と、初めは共存を目指しましたが嫌われたため、対決姿勢を顕にします。
コーランではアブラハムとその子イシュマエルがメッカに建設したものがカーバ神殿である、と説明するようになります。
さらに、イスラム教では、ムハンマドがヒジュラをした年を元年とするイスラム暦をこの頃から使うようになっています。すなわち622年7月16日を年初とする暦です。ヒジュラ暦といいます。これは太陰暦を使っているので、我々が使っている太陽暦とは異なります。そのため現在は西暦2024年ですが、ヒジュラ暦では、今年は1445年となっています。
〇ヒジュラからメッカ奪還へ
622年のヒジュラ以降、ムハンマドはメディナにおいて順調にイスラム教徒を増やしていきます。ウンマという共同体で人々はお互いに助け合い、公平に分け合い、メッカのような経済的格差がない社会が実現していました。
少しずつ勢力を拡大していき、630年、メッカ軍は降伏しムハンマドは再びメッカの地に足を踏み入れます。そしてカーバ神殿の多神教の偶像を全て破壊したと言われています。
ムハンマドはその後632年再びメッカ巡礼を行いますが、その後に息を引き取りました。
〇現代のイスラーム
現在イスラム信者は約13~15億人いると言われています。信者数が多い国はインドネシア。意外にもアジアが多いのです。
注目すべきはイスラム教信者の今後の人口です。ピューリサーチセンターによりますと、2030年には約26%を超えるということで、全人口の1/4がイスラム教徒になるということです。
今いろいろなところでグローバル化と言われていますが、無意識のうちに我々が口にしている「グローバル化」というのはアメリカをはじめとするキリスト教国のことを指していないでしょうか。
本当の意味でグローバル化というのであれば、イスラームへの理解もしておかないと知らず知らずのうちに相手を否定してしまう言動をすることになるかもしれません。
よく知られていることですがイスラム教徒は豚肉を食べませんしお酒も飲みません。また昨今LGBTなどと言われていますが、イスラム教では同性愛は犯罪です。
広い視野を持つためにも、公平、中立な立場で宗教を学習してみるのは、21世紀を生きる我々にとっては大事なことかもしれません。
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