我々は何のために学ぶのか。
③問題を解決する力、困難を解釈する力を身に付けるため
仕事でもプライベートでも問題はしょっちゅう起こります。
そのどれにおいても「正解のない問い」と向かい合うことになります。
「正解のない問い」に立ち向かう力は、「正解のある問題を考えて答えを導き出してきた」という思考の訓練や達成感の積み重ねで決まるところはあるのではないでしょうか。
自分の頭で考えた経験や、先人の知恵をどれだけ知っているかという知識面が、人生を切り開くうえで大いに役立つ時があると思います。
そもそも学問とは・・・、
我々がより豊かに生きるために先人たちが伝えてくれたものという側面もあるのではないでしょうか。
例えば今当たり前のように使っている「太陽暦」。
暦があることによって農業の発展が生まれ、人々の生活が豊かになりました。
この太陽暦は(諸説ありますが)エジプトで考えられたと言われています。
「エジプトはナイルの賜物」という言葉もある通り、ナイル川の氾濫によって栄養分のある土が運ばれ、豊かな土壌が生まれたと言われています。
そこで当時の人々は考えました。
ナイル川の氾濫の時期を予測できないかと。
そうすれば農業計画が立てやすくなります。
そこでいろいろと観察や研究を重ねた結果、太陽とシリウスが真東から昇ってくるタイミングでナイル川の氾濫が起こりやすいことを突き止めました。
その周期が約365日ということで、これを1年としたわけです。
こういったことが分かり、後世に伝えたことによって人々はナイル川の氾濫から身を守ったり、農業の時期を考えたりできるようになったわけです。
先人たちが、後の人々が困らないように知識や知恵を授ける、これが本来の学問だったのではないでしょうか。
また、当然こういった知識は一部の為政者のみに伝えられたものでしょう。
それを現在の我々は義務教育で学べているということで、何とも贅沢なことではないでしょうか。
よく塾生に「勉強って難しい、めんどくさい」とクレーム(?)を言われますが、考えてみれば統治に必要な知識や思考ですから、難しいのは当然ですね。
「こんな勉強して将来何の役に立つんですか?」と言われることもありますが、学んだ知識を将来役に立たせるか立たせないかの選択権は自分にあるのかなあと、そういう質問を受ける度に思います。
かつては一部の為政者やエリートしか学べなかったことを義務教育で学べるわけですから、考えようによっては、ペーパーテストをクリアすることで生まれに縛られることなく誰でも為政者やエリートになることができるという平等な国なのかもしれません。
マンガ「ドラゴン桜」でも「(世の中のルールは頭のいいやつらが作っているから)自分の頭で考えようとしない奴は一生高い金払わされるんだ!」みたいなセリフが出てきますが、言い得て妙、ですね。
「太陽」でもう一つ。
「杞憂」という言葉があります。
起こることがないことを心配する、という意味です。
昔無知な人が夕陽を見て「あの太陽が地上に落ちてきて大変なことになる!」と心配する話ですが、同じ太陽を見てもニュートンなら「きれいな夕陽だな」ぐらいにしか思わないでしょう。
物の道理や本質を理解しているかいないかで心の持ちようも変わってくるのではないでしょうか。
それが結局「人生の豊かさ」に繋がってくるのではないかと考えています。
そういう意味で、問題を解決する力、困難を解釈する力を身に付けるために、我々は学び続けなければならないのではないでしょうか。


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